前回の記事では、今行われている節電対策について、ロジカルに考えた時にあまり意味のないことが、ズルズルと行われていると書きました。

例えば、深夜の節電がそれにあたります。

そもそも深夜は電力が不足していません。そして夜中の余った電気の大部分は蓄えることができません。もちろん揚水発電のように、夜間の電力を利用して昼間の電力ピークに備えるような方法も行われているのですが、そういった備えにフルに電力を使ったとしても、深夜に電気は余っています。つまり、深夜の節電は「ピーク時の電力を抑制する」という目的からすると、あまり意味のないことになります。

そう考えると、夜10時を過ぎたならば、例えば24時間営業をしているコンビニや深夜までやっている飲食店などは、堂々と看板の電気を付けてもいいわけです。しかし、実際はそういう動きにはなっていません(一部の店舗では自主判断でやっていますが・・・)。なぜこのようなことが起きているのでしょうか?

考えられる理由は2つあって、1つは、社会全体で見たときに、自分たちのやっている節電にどれほどの意味があるかどうかは、一企業では判断できないということです。つまり、全体のなかで意味があるかどうかはわからないけれど、やらないよりはやったほうがいいだろうということで、節電の取り組みを行うわけです。

もちろん、デメリットが全くないならばそれでもいいのですが、節電によるデメリットが存在する状況では、効果とデメリットを天秤にかけて判断することが必要になります。

それともう1つの理由は、「節電しなければ」という社会的風潮があるなかで、仮に全体像が把握できて節電を行う意味が薄いとロジカルに判断できたとしても、節電を実施しないことで企業として社会から批判を浴びるリスクがあるということです。

このように考えると、今回の節電対策のように社会的に重要かつセンシティブな問題に対しては政治的なリーダーシップが重要であり、各企業の判断だけでは対応がしづらいのではないかと思います。

ただ、残念ながら現状では、政府がこのようなリーダーシップを取っているようには見えません。政府は節電担当相を指名したりしていますが、節電に関しては、ロジカルなアプローチをしているというよりは、政治的パフォーマンス色が強いように思えてしまいます。

また石原都知事が、自動販売機やパチンコ店の営業を考え直すべきと言っていましたが、これは、メリットデメリットを考えた上での、最優先の対策なのでしょうか?効果のインパクトなどは考えずに、単に目の前にあるから、あるいは目立つからという理由(あるいはそれ以外の政治的な理由)で挙げられているだけではないでしょうか?

「自粛」という言葉が多く語られているように、日本の社会は論理よりは情緒によって流されやすい国民性・文化を持っています。そういう中で、最小のリスクで夏の電力不足を確実に乗り切るために、冷静かつ論理的に諸対策のメリット、デメリットを見極め、どのような節電対策を優先的に取り組むべきなのか、逆に優先度を下げても良いものは何なのかについて、理由と共に明確なメッセージを社会に伝えることこそが、政府に求められていることだと思います。

ロジカルに節電対策を考える(1)