前回の記事では、今回起きた携帯カンニング問題に関して、受験生のモラルや大学での受験環境への対策は、短期的には必要であるものの、より本質的には今回のようなカンニングによって合否が影響されてしまう受験方式そのものに課題があることを書きました。

少し話がそれますが、今回の問題は受験という場でなされたために「カンニング」という事件になるのですが、世の中一般においては、ネットで情報を調べたりYahoo知恵袋のような質問サイトで知識を得ようとすることは、何ら問題ではありません。

逆に戦略コンサルの世界では「他人の知識をレバレッジする」ことは強く推奨されていて、分からないことは何でも人に聞く、また人に何かを聞かれた時は自分の持てる知識を共有して組織全体の智の共有を図ることが高く評価されます。

これは、ビジネスの世界では「正解」などない中で、知識そのものが価値を持つのではなく、知識をもとに自ら考える(そして行動する)ことが価値を生み出すからです。

さて、話を戻します。入学試験においては、多くの学校でいわゆるペーパーテスト方式が何十年も続けられており、受験生を一斉に会場に集め、同じ試験問題を一斉に配布し、一定時間がきたら試験を終えて問題・答案を集める方式が基本です。

つまり、試験開始時から解答提出までの時間的な猶予が1時間や2時間などと長く、今回のようなことが物理的に可能になってしまうのです。また、試験内容も、知識を測ることに主眼がおかれており、論理的思考能力やその人の資質といった面は適切に測ることができません。

これに対する対策としては、一つ目は、知識を測る試験においては一問の制限時間を短く切って、短時間に次々と解答しなければならない仕組みとすること、そして二つ目は、たとえ他人の力を借りたとしても最終的に個人の能力や資質があぶりだされてしまう試験方法とすることです。

そして、それを現実に行っているのが、米国の入学試験です。もう何年も前ですが、私が米国のビジネススクールを受けた時に、日本の試験との違いに驚いたことを覚えています。

例えば、一つ目の知識を測る試験の仕組みがCBT(コンピューター・ベースド・テスティング)です。端的に言うと、パソコンを用いて1問ずつ問題が出され、1問の制限時間は1分~3分程度であり、その正誤によって次の問題の難易度が変わり、受験者のレベルに近い問題を出し続けながらそのレベルを点数化するという試験方法です。

これだと、短時間のうちに次々に問題をこなしていかなければいけないので、今回のように携帯に問題を打って人に聞くということが起こりにくくなります。ただし、技術の進化を考えると、それでもカンニングはゼロにはならないでしょう。そこで必要なのが、「仮に他人の力を借りたとしても、最終的に個人の能力や資質をあぶりだしてしまう」という試験方法です。

ビジネススクールの入学審査においては、それは「エッセイ(論文)」と「面接」で行われています。エッセイでは入学動機、これまで自分がなしとげたこと、あるいは特定のテーマに関する自分の意見を、何百字~何千字という制限で書きます。極論すると、エッセイは人に書いてもらうことができてしまうのですが、それをふるい落とすのが「面接」となります。エッセイで書かれていることについて、面接で相手から深い質問をされたときに、本当に自分で考えたものでなければ浅い答えしかできず、そこで見破られてしまいます。

一部の大学では、このような海外での入学審査方式に近い方式を「AO方式」として導入していますが、まだ少数派ですし、少なくとも東大・京大では実施されていません。

もちろんこういった選考方法をとるとなれば、これまで以上に大学側に多くの負担がかかります。また、論文や面接で志望者を絞り込んでいくノウハウが欠如しているため、最初はうまく機能せずに混乱することもあるでしょう。しかし、そう言っていてはいつまでも変化が起きないので、今回のような事件を契機にして、従来型の受験方式からの脱却を図っていくべきではないでしょうか。

また、日本においても企業の入社試験は「論文(エントリーシート)」「面接」をベースとしたものになっています。筆記試験も行われますが、それだけで内定が出るような企業はありません。

もちろん大学には研究者を育てるという目的もあるものの、卒業生の大部分は(修士までを考えると)企業に就職します。その時に求められるのが上記のような試験なのですから、大学の入試もそれにあわせて変えていくべきではないでしょうか。そうするなかで、今起きている企業で求める人材と大学から排出される人材のミスマッチも徐々に埋まっていくような気がしています。

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