「自分探し」という言葉が、世の中で使われて久しいですが、
“自分を探す”って何なのでしょう?
“自分を探す”ために、海外に行ったり、
ボランティアをやったり、
フリーターでいろいろチャレンジしてみたりする人もあります。
「本当にやりたいことを見つけたい」
と言ったりするのを、よく耳にしますから、
その人にとっては、
「やりたいこと探し」=「自分探し」
なのでしょう。
確かに、それも一種の自分探しです。
なぜ、人は「自分探し」をするのでしょうか?
それは、
「今の自分は、本当の自分ではない」
と感じるからでしょう。
「このまま生きていって、このまま人生を終わっていいのかな?」
「今の状態を続けて、本当に心からの満足が得られるのかな?」
「今の私って、なんか違う気がする」
こんな漠然とした不安のような、
むなしくもあり、寂しくもある思いから、自分探しを始めるようです。
自分探しを始める人は、
自分の奥底にある心の叫びに気づいた人と言えるでしょう。
考えてもみると、多くの人は、
朝から晩まで、仕事、仕事、仕事です。
イギリスのことわざに、
「食べるために生きるな。生きるために食べよ」
というのがありますが、言葉を換えて言えば、
「働くために生きるな。生きるために働け」
ということと言えるでしょう。
私たちは働くために生きているのではありません。
しかし働かなかったら食べていけません。
食べなければ死んでしまいます。
だから生きるために働くのです。
ところが、生きていくためにどんなに一生懸命働いても、
やがて死んでいきます。
働いて食べていかないと生きていけない、と言いながら、結局は、
食べていても死んでしまうのです。
では、生きるのは何のためなのでしょうか?
働くのは生きていくため。
でも、働いても死んでしまう。
ならば、何のために生きてるの?
素朴な疑問ですが、答えはハッキリしているでしょうか?
これがハッキリしていない人は、
ゴールを知らずに走り続けるランナーと同じです。
走ることそのものに喜びを感じられるほど盲目的な間は
目的地を問題にしなくても走り続けることができます。
しかし、苦しいことがやってきたとき、
必ず問わずにいられなくなります。
「私は、何のために走っているのか?」
と。
「本当の自分」を探すとは、
「これをすれば本当に満足できる」という、
「本当の幸せ」を探すことです。
“本当の自分探し”とは、
“本当の幸せ探し”にほかなりません。
「人間に生まれてよかった」
「この幸せになるための人生だったのか」
と心から言える幸せとは何か?
それを探すために、“本当に自分探し”をするのです。
◆ ひとりごと ◆
12月に入りました。
今年もあと1ヶ月です。
日記に書くには、既にタイミングを逸しているのですが、
先週の土曜日は、高岡駅前のウィングウィング高岡で
社会人の集まる勉強会で話をして参りました。
向学心あふれる20代、30代のヤングな皆さんが集まる中で、
話をさせていただくのは、やはり緊張です。
「仕事は、浄土真宗の講師です」
と自己紹介したときの、あの何ともいえない空気…。
カテゴリーの外の人だったんでしょうね、きっと。
仕事で名刺交換する対象では、少なくともないでしょう。
でも、感心するのは、皆さん、しっかり話を聞いて、
終わった後も、質問をしてきたり、声をかけて下さったり、
ありがたいな、と思いました。
カフェでのプチ勉強会は、大阪や岡山にいたときに、
よく開いていたので、最近は、富山でも時々、やってます。
珈琲哲学やスタバで話してますので、
お声をかけていただければ、1人でも2人でも開催しますよ☆
今日は、比較的あたたかかった富山でしたが、
でも確実に寒くなってきてますね。
風邪やインフルエンザには気をつけましょう。
(*^-^)
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“自分を探す”って何なのでしょう?
“自分を探す”ために、海外に行ったり、
ボランティアをやったり、
フリーターでいろいろチャレンジしてみたりする人もあります。
「本当にやりたいことを見つけたい」
と言ったりするのを、よく耳にしますから、
その人にとっては、
「やりたいこと探し」=「自分探し」
なのでしょう。
確かに、それも一種の自分探しです。
なぜ、人は「自分探し」をするのでしょうか?
それは、
「今の自分は、本当の自分ではない」
と感じるからでしょう。
「このまま生きていって、このまま人生を終わっていいのかな?」
「今の状態を続けて、本当に心からの満足が得られるのかな?」
「今の私って、なんか違う気がする」
こんな漠然とした不安のような、
むなしくもあり、寂しくもある思いから、自分探しを始めるようです。
自分探しを始める人は、
自分の奥底にある心の叫びに気づいた人と言えるでしょう。
考えてもみると、多くの人は、
朝から晩まで、仕事、仕事、仕事です。
イギリスのことわざに、
「食べるために生きるな。生きるために食べよ」
というのがありますが、言葉を換えて言えば、
「働くために生きるな。生きるために働け」
ということと言えるでしょう。
私たちは働くために生きているのではありません。
しかし働かなかったら食べていけません。
食べなければ死んでしまいます。
だから生きるために働くのです。
ところが、生きていくためにどんなに一生懸命働いても、
やがて死んでいきます。
働いて食べていかないと生きていけない、と言いながら、結局は、
食べていても死んでしまうのです。
では、生きるのは何のためなのでしょうか?
働くのは生きていくため。
でも、働いても死んでしまう。
ならば、何のために生きてるの?
素朴な疑問ですが、答えはハッキリしているでしょうか?
これがハッキリしていない人は、
ゴールを知らずに走り続けるランナーと同じです。
走ることそのものに喜びを感じられるほど盲目的な間は
目的地を問題にしなくても走り続けることができます。
しかし、苦しいことがやってきたとき、
必ず問わずにいられなくなります。
「私は、何のために走っているのか?」
と。
「本当の自分」を探すとは、
「これをすれば本当に満足できる」という、
「本当の幸せ」を探すことです。
“本当の自分探し”とは、
“本当の幸せ探し”にほかなりません。
「人間に生まれてよかった」
「この幸せになるための人生だったのか」
と心から言える幸せとは何か?
それを探すために、“本当に自分探し”をするのです。
◆ ひとりごと ◆
12月に入りました。
今年もあと1ヶ月です。
日記に書くには、既にタイミングを逸しているのですが、
先週の土曜日は、高岡駅前のウィングウィング高岡で
社会人の集まる勉強会で話をして参りました。
向学心あふれる20代、30代のヤングな皆さんが集まる中で、
話をさせていただくのは、やはり緊張です。
「仕事は、浄土真宗の講師です」
と自己紹介したときの、あの何ともいえない空気…。
カテゴリーの外の人だったんでしょうね、きっと。
仕事で名刺交換する対象では、少なくともないでしょう。
でも、感心するのは、皆さん、しっかり話を聞いて、
終わった後も、質問をしてきたり、声をかけて下さったり、
ありがたいな、と思いました。
カフェでのプチ勉強会は、大阪や岡山にいたときに、
よく開いていたので、最近は、富山でも時々、やってます。
珈琲哲学やスタバで話してますので、
お声をかけていただければ、1人でも2人でも開催しますよ☆
今日は、比較的あたたかかった富山でしたが、
でも確実に寒くなってきてますね。
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