「いつも落ち着いた心で過ごしたい」

「周囲の出来事に動じないで生きられたら…」

「何ごとも前向きに、プラスに受け止めて生きられたら、

 幸せな毎日を送ることが出来ると思うのになぁ」

「感謝の心がもっとあれば、

 安らかな毎日を送れると思うんだが…


そんな願望を持っている人は少なくないでしょう。


お金や財産、それなりの地位や名誉に恵まれても、

自らの心に悩まされる毎日を送ってはいないでしょうか。


「不惑の四十」といわれても、

現実には年を取れば取るほど、人生の惑いが深くなっていくようです。

実際に、40代の人に

「あなたは40代で、惑うことはないですか?」

と聞いたテレビ番組がありましたが、

みんながみんな、

「惑います」

と答えていました。


いったん決めた生き方も、

「このままの生き方でよいのだろうか」

「何か違った人生があるのでは……」

と迷いが起きてきます。

価値観が多様化した今日は、なお更でしょう。


人間の心というものを、もっと深く見てみましょう。

心は、コロコロ転がるからココロというようになった

といわれるほど、変わり通しです。

盆の上の卵のように、いっときとして静まることがありません。


なぜ、私たちの心は、ピタッと静まることがないのでしょうか。

親鸞聖人はこのように明かされています。


「凡夫(ぼんぶ)というは無明(むみょう)・煩悩(ぼんのう)

 われらが身にみちみちて、欲もおおく、瞋(いか)り腹だち、

 そねみねたむ心多く間(ひま)なくして、

 臨終の一念に至るまで止まらず消えず絶えず」


人間というものは、欲や怒り、腹立つ心、

ねたみそねみなどの、かたまりである。

これらは死ぬまで、静まりもしなければ減りもしない。

もちろん、断ち切れるものでは絶対にない、

と言われたものです。


そのため私たちは、朝から晩まで、

欲に引きずり回され、怒りで身を焼き、

ねたみ、そねみによって心乱され続けています。


タバコが値上がりして、

「これを機に禁煙だ」

と決意しても、三日坊主で終わってしまうのは

欲のためでしょう。


強く固めたはずの信念も、

煩悩の誘惑には太刀打ちできないのです。


あるフランスの作家は、

「頭はいつも、心にしてやられる」

と皮肉な口調で述べています。


「勉強しなきゃ」

と分かっていても、

「遊びたい、楽したい」

の心にしてやられてばかり。


「捜査は、公正なものでなければならない」

と分かっていても、

「認められたい」

の心にしてやられて、証拠品を改ざんした検事もありました。


「盗んではいけない」

と分かっていても、

「自分のものにしたい」

の心にしてやられて、万引きで逮捕されるのです。


他人の褒め言葉に、

「どうせお世辞だ」

と知りつつ、舞い上がり、

陰口一つで、ドーンと落ち込むのは、

名誉欲の心にしてやられているのです。


怒りの心はどうでしょう。

思うままにならないと、カッと腹立つ瞋恚(しんい)の炎が燃え上がります。


ゴミの分別をキチッと守っている人は、

他の人が分別しないで捨てているのを見て、朝から腹を立て、

「ちゃんとルールを守ってください」

と、ゴミ袋を突き返す。

一方、返された人も、

自分がルールを守っていなかったことは頭では分かっていても、

「何だよ、これくらいで!」

と、猛然と腹立つ心が起きてきて、安らかではいられません。


気になりだすと、嫌いな人のひと言ひと言が癇(かん)に障ります。

一挙手一投足が癪(しゃく)の種。

心の中は煮えくり返る地獄の釜と化しています。


ねたみやそねみも強烈です。

「自分が幸福になるには、他人と比べないこと」

と思いながらも、そう簡単にはいきません。


隣が新車を買えばうらやむ心が起きてきます。

友達が昇進すればねたみ、そねみが沸きあがってきます。


他人の失敗話や離婚話を聞けば、

「他人の不幸話なんて…」

と不謹慎に思うそばから、ほくそえむ心が出てくるのです。


「こう思うようにすればいい」

「気にしなかったらいい」

「自分のペースでやっていけばいい」

と頭であれこれ理想を求めても、

現実はどうにもならぬ自分の心に泣かされてばかりです。


自分の心を見つめるほど、

欲や怒り、ねたみそねみの絶え間ない心の実相が

知らされるのです。


こんな心で、どうして幸せに生きられるのか…。


あきらめたくなる心も起きてくるかもしれません。


しかし、仏教では、

そんな欲いっぱい、腹立つ心いっぱい、

ねたみそねみの煩悩で満ち満ちている私たちが、

その心あるがままで、

変わらない幸せに生きることが出来るのだよ、

と教えられているのです。


親鸞聖人は、その心の世界を「無碍(むげ)の一道」と

教えられています。


詳しくお知りになりたい方は、

お近くの親鸞聖人の勉強会にぜひ足を運んでみてくださいね。


━ ぴょんたの ◆◆
◆◆ ひとりごと ━


先週の9日(土)は、富山県滑川市の

滑川市民交流プラザで、昼、夜と勉強会で

話をさせて頂きました。

親鸞聖人の有名な『正信偈(しょうしんげ)』の冒頭、

「帰命無量寿如来(きみょうむりょうじゅにょらい)

 南無不可思議光(なむふかしぎこう)」

の意味について、話をしました。


10日(日)の午後からは、富山県高岡市の

ウィングウィング高岡で、勉強会でした。

ここでも、『正信偈』の意味を解説いたしました。


『正信偈』は、ちゃんと最初の2行の意味を正しく知らないと、

その後の文章は、もうわかりません。


一つ一つ、基本から、意味を知っていくことが大切ですね。


今回の勉強会が2回目、3回目という方もおられたのですが、

「繰り返し聞かないといけないね」

と語っていました。


そう、仏教は、繰り返し、同じ話を聞くことが大事です。

質問も大歓迎ですから、9日の夜の部では、

終わってから、質問をきっかけに1時間ほど話をした方がありました。


仏教の話ができるのは、本当に幸せです☆

皆さんも、御縁があれば、ぜひ勉強会にご参加下さいませ。


(*^-^)





お釈迦様と親鸞聖人の教えられた「ただ一つのこと」がわかるブログ-アンケートにご協力ください ←今すぐクリック!!



*今回のひまわり日記 はいかがでしたか?

 
「へぇ!」「なるほど!」「勉強になった」
 と思われた方、クリック投票をお願いします☆

 ↓↓↓↓↓↓↓↓

 
http://clap.mag2.com/treclisast?pyonta




ペタしてね



皆さんのクリックのおかげで、ランク上位に入ってきてます。


本当にありがとうございます。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ  ブログ村ブログランキングに参加中!クリックで応援してね☆

人気ブログランキングへ  人気ブログランキングに参加中!こちらもクリックよろしくです♪  




★まぐまぐでメルマガを発行しています!(ほぼ日刊)


【昨日より今日が前進 言葉で親しむ仏教講座】


 携帯電話でも読みやすい1分で読める法話です。


 ちょっとしたヒントで、昨日より今日、一歩でも

 前進できたら、きっとすてきな一日になるはずです。


 メルマガの登録・解除は、こちら からどうぞ。


 携帯の方は、ここに空メールを送って登録が出来ます。

 QRコードをご利用下さい。

  ↓

 aM0094295@mobile.mag2.com


 ひまわり日記・親鸞会の講師の一人はこんな人-昨日より今日が前進



□━●━○━●━□
 ぴょんたの
  ひまわり日記
■━○━●━○━■



【mixi】 でも読めます☆ マイミク歓迎です!!



あなたが仏教から学べるたった一つのこと

  どなたでも参加できる勉強会です。全国各地で開催されています。