8月10日から11日まで、鳥取の方から
招待を受けまして行って参りました。
朝から晩まで、仏法の話をさせていただく
尊いご縁を頂き、参加された皆さんも、
熱心に話を聞いていました。
さて、「先祖の恩」について前回、
話をして、途中になっていました。
「先祖は尊いものだから敬いなさい」
という教えは仏教にはありません。
こう言うと、
「え?本当に?」
と誰もがビックリされるでしょう。
でも、よくよく考えてみてください。
生前、凶悪犯罪を繰り返してきた人が、
死んで“先祖”になった途端に、
敬い、頭を下げるべき存在になる、
というのは、誰が納得できるでしょう。
何万、何億という先祖を、ひとまとめに、
“みんな尊いご先祖”と崇拝することの
おかしさに気付かれると思います。
“先祖”と言っても、特別な人は誰もいません。
みんな一人の人間であったわけです。
仏教では、古今東西のすべての人間は
みな「煩悩具足の凡夫」である、と教えられます。
仏教では、欲や怒り、ねたみそねみ、などを煩悩といい、
煩悩に目鼻をつけたようなものが人間だと説かれています。
これを煩悩具足の凡夫といいます。
いつも自分の損得ばかりを考えて、
食べたい、飲みたい、遊びたい、楽がしたい、
眠たい以外に心が動かない。
色を求め、名誉にあこがれ、金銭を追いかけ、
限りなく欲望はひろがってゆく。
“こんなバカな私”と言いながら
“バカだ”と言われると腹が立つ。
バカだとは少しも思っていない。
考えることも言うことも自分の都合中心で、
自分を買いかぶり、ほめられたい心よりほかにない。
こんな汚い欲と、恐ろしい怒りと、醜いねたみに、
つねに染まり切っているから、
頭の火をもみ消すように努力しても、
まことの善は一つもない。
みな偽善であり、うそっぱちである。
仏法によって自己の真実をハッキリと知らされた
親鸞聖人の告白は、古今東西変わらない
人間の実相を明らかにされた言葉でもあります。
(以下は、原文です)
一切凡小、一切時のなかに、
貪愛の心、つねによく善心を汚し、
瞋憎(しんぞう)の心、つねによく法財を焼く。
急作(きゅうさ)・急修(きゅうしゅう)して、
頭燃(ずねん)をはらうがごとくすれども、
すべて「雑毒(ぞうどく)・雑修(ざっしゅ)の善」となづけ、
また「虚仮・諂偽(てんぎ)の行」となづく。
「真実の業(ごう)」となづけざるなり。
(『教行信証』)
「ならば、先祖を粗末にすればいいのか」
との声が聞こえてきそうですが、
そうではありません。
何万、何億という先祖の誰一人欠けても、
私は人間に生まれることは出来ませんでした。
ものすごい人間につながりの中に、
今の私の“生”があることが知らされます。
先祖があって私は人間に生まれることが出来たのです。
ところが、
人間にせっかく生を受けても、
そのことを心から喜んでいる人は
果たしてどれだけあるでしょう。
苦しいことがあると、
人間に生まれたことを恨んだり、
後悔したりしてはいないでしょうか?
「こんな苦しいのなら死んだほうがましだ」
と思うのは、生んでくれた両親を恨み、
心で殺しているのです。
私たちにとって、一番身近な先祖は親です。
親への感謝なくして、どうして
先祖に感謝できるでしょう。
「人間に生まれて良かった!」
という、人間に生まれたことへの
心からの喜びがあってこそ、
「生んでくれてありがとう」
の両親への感謝の気持ちも起きてきます。
同時に、先祖あっての自分だと、
先祖への感謝も出てくるのではないでしょうか。
「人間に生まれて良かった」
という生命の大歓喜を教えられたのが仏法です。
私たちが人間に生まれてきたのは、
本当の人生の目的を知り、それを完成し、
「人間に生まれて良かった!
この身になるための人生だったのか」
という生命の大歓喜を味わうためなのですよ、
と教えられたのが親鸞聖人なのです。
お盆には、ぜひ親鸞聖人の教えを
聞いて頂きたいと願わずにおれません。
━ ぴょんたの ◆◆
◆◆ ひとりごと ━
鳥取に着いたのは、月曜日の午後3時ごろでした。
到着するなり、「早速、話を」ということで
6時ごろまで話をして、その後、夕食。
夜は、8時半から10時まで話をしました。
翌朝は、午前9時から11時半まで、
昼食をとって、午後は6時過ぎまで、
そして夜は8時半から10時まで、
話をさせて頂きました。
3日目も、朝9時から12時まで、
話をさせていただいて、皆さんも熱心に
聞かれるので、暑さもどこへやら、
共に親鸞聖人の教えに学ぶご縁となりました。
親鸞聖人の教えを知りたい、学びたいと
ご縁を求められる皆さんとの交流を
心から喜ばずにおれない3日間は、
本当にあっという間でした。
仏法は聴聞に極まる、と教えられます。
私の家は浄土真宗だけど、何をしたらいいの?
親鸞聖人の教えってどんな教えなの?
何を教えられた方なの?
そんな方は、ぜひ聞いてください。
各地で、親鸞聖人の教えを聞くことの出来る
勉強会を開催しています。
http://www.shinrankai.or.jp/koza/bukkyo.html
*今回のひまわり日記 はいかがでしたか?
「へぇ!」「なるほど!」「勉強になった」
と思われた方、クリック投票をお願いします☆
↓↓↓↓↓↓↓↓
http://clap.mag2.com/treclisast?pyonta
招待を受けまして行って参りました。
朝から晩まで、仏法の話をさせていただく
尊いご縁を頂き、参加された皆さんも、
熱心に話を聞いていました。
さて、「先祖の恩」について前回、
話をして、途中になっていました。
「先祖は尊いものだから敬いなさい」
という教えは仏教にはありません。
こう言うと、
「え?本当に?」
と誰もがビックリされるでしょう。
でも、よくよく考えてみてください。
生前、凶悪犯罪を繰り返してきた人が、
死んで“先祖”になった途端に、
敬い、頭を下げるべき存在になる、
というのは、誰が納得できるでしょう。
何万、何億という先祖を、ひとまとめに、
“みんな尊いご先祖”と崇拝することの
おかしさに気付かれると思います。
“先祖”と言っても、特別な人は誰もいません。
みんな一人の人間であったわけです。
仏教では、古今東西のすべての人間は
みな「煩悩具足の凡夫」である、と教えられます。
仏教では、欲や怒り、ねたみそねみ、などを煩悩といい、
煩悩に目鼻をつけたようなものが人間だと説かれています。
これを煩悩具足の凡夫といいます。
いつも自分の損得ばかりを考えて、
食べたい、飲みたい、遊びたい、楽がしたい、
眠たい以外に心が動かない。
色を求め、名誉にあこがれ、金銭を追いかけ、
限りなく欲望はひろがってゆく。
“こんなバカな私”と言いながら
“バカだ”と言われると腹が立つ。
バカだとは少しも思っていない。
考えることも言うことも自分の都合中心で、
自分を買いかぶり、ほめられたい心よりほかにない。
こんな汚い欲と、恐ろしい怒りと、醜いねたみに、
つねに染まり切っているから、
頭の火をもみ消すように努力しても、
まことの善は一つもない。
みな偽善であり、うそっぱちである。
仏法によって自己の真実をハッキリと知らされた
親鸞聖人の告白は、古今東西変わらない
人間の実相を明らかにされた言葉でもあります。
(以下は、原文です)
一切凡小、一切時のなかに、
貪愛の心、つねによく善心を汚し、
瞋憎(しんぞう)の心、つねによく法財を焼く。
急作(きゅうさ)・急修(きゅうしゅう)して、
頭燃(ずねん)をはらうがごとくすれども、
すべて「雑毒(ぞうどく)・雑修(ざっしゅ)の善」となづけ、
また「虚仮・諂偽(てんぎ)の行」となづく。
「真実の業(ごう)」となづけざるなり。
(『教行信証』)
「ならば、先祖を粗末にすればいいのか」
との声が聞こえてきそうですが、
そうではありません。
何万、何億という先祖の誰一人欠けても、
私は人間に生まれることは出来ませんでした。
ものすごい人間につながりの中に、
今の私の“生”があることが知らされます。
先祖があって私は人間に生まれることが出来たのです。
ところが、
人間にせっかく生を受けても、
そのことを心から喜んでいる人は
果たしてどれだけあるでしょう。
苦しいことがあると、
人間に生まれたことを恨んだり、
後悔したりしてはいないでしょうか?
「こんな苦しいのなら死んだほうがましだ」
と思うのは、生んでくれた両親を恨み、
心で殺しているのです。
私たちにとって、一番身近な先祖は親です。
親への感謝なくして、どうして
先祖に感謝できるでしょう。
「人間に生まれて良かった!」
という、人間に生まれたことへの
心からの喜びがあってこそ、
「生んでくれてありがとう」
の両親への感謝の気持ちも起きてきます。
同時に、先祖あっての自分だと、
先祖への感謝も出てくるのではないでしょうか。
「人間に生まれて良かった」
という生命の大歓喜を教えられたのが仏法です。
私たちが人間に生まれてきたのは、
本当の人生の目的を知り、それを完成し、
「人間に生まれて良かった!
この身になるための人生だったのか」
という生命の大歓喜を味わうためなのですよ、
と教えられたのが親鸞聖人なのです。
お盆には、ぜひ親鸞聖人の教えを
聞いて頂きたいと願わずにおれません。
━ ぴょんたの ◆◆
◆◆ ひとりごと ━
鳥取に着いたのは、月曜日の午後3時ごろでした。
到着するなり、「早速、話を」ということで
6時ごろまで話をして、その後、夕食。
夜は、8時半から10時まで話をしました。
翌朝は、午前9時から11時半まで、
昼食をとって、午後は6時過ぎまで、
そして夜は8時半から10時まで、
話をさせて頂きました。
3日目も、朝9時から12時まで、
話をさせていただいて、皆さんも熱心に
聞かれるので、暑さもどこへやら、
共に親鸞聖人の教えに学ぶご縁となりました。
親鸞聖人の教えを知りたい、学びたいと
ご縁を求められる皆さんとの交流を
心から喜ばずにおれない3日間は、
本当にあっという間でした。
仏法は聴聞に極まる、と教えられます。
私の家は浄土真宗だけど、何をしたらいいの?
親鸞聖人の教えってどんな教えなの?
何を教えられた方なの?
そんな方は、ぜひ聞いてください。
各地で、親鸞聖人の教えを聞くことの出来る
勉強会を開催しています。
http://www.shinrankai.or.jp/koza/bukkyo.html
*今回のひまわり日記 はいかがでしたか?
「へぇ!」「なるほど!」「勉強になった」
と思われた方、クリック投票をお願いします☆
↓↓↓↓↓↓↓↓
http://clap.mag2.com/treclisast?pyonta
皆さんのクリックのおかげで、ランク上位に入ってきてます。
本当にありがとうございます。
ブログ村ブログランキングに参加中!クリックで応援してね☆
人気ブログランキングに参加中!こちらもクリックよろしくです♪
★まぐまぐでメルマガを発行しています!(ほぼ日刊)
【昨日より今日が前進 言葉で親しむ仏教講座】
携帯電話でも読みやすい1分で読める法話です。
ちょっとしたヒントで、昨日より今日、一歩でも
前進できたら、きっとすてきな一日になるはずです。
メルマガの登録・解除は、こちら からどうぞ。
携帯の方は、ここに空メールを送って登録が出来ます。
QRコードをご利用下さい。
↓
□━●━○━●━□
ぴょんたの
ひまわり日記
■━○━●━○━■
▼ 【mixi】 でも読めます☆ マイミク歓迎です!!
▼ 【Twitter】 でつぶやいてます☆
ブログやメルマガにない、ひそかなつぶやきが
聞こえてくるかもしれません。
親鸞会では、親鸞聖人の教えをお示しして、
『正信偈』や『歎異抄』の意味をわかりやすく解説しています☆
どなたでも参加できる無料の勉強会です☆