「僧侶の仕事は何でしょう?」


このように聞かれたら、皆さんは、どのように答えますか?


・先祖を供養すること

・葬式をつとめること

・お墓の番


と答えるでしょうか?


でも、

「これらは僧侶の仕事ではないんです」

と聞かれたらビックリされますか?


残念ながら、僧侶は、葬式、法事、墓番が仕事、

というのが世間の常識です。


だからでしょうか、こんな皮肉な話があります。


…◆……◆……◆…


道を歩いていた医者が、

何かのはずみで懐中時計を落としていきました。


後から黒い衣を着た僧侶がやってきて、

なんと、その時計をネコババしたのです。


医者は途中で、大事な時計がないことに気づき、

あわてて引き返してきました。


そこへ、先ほどの僧侶がやってきたので、

医者は尋ねます。


「失礼ですが、

 道に懐中時計が落ちていませんでしたか?」


すると、僧侶は知らぬふり。


ところが、不覚にも、懐から

時計のクサリのぞいていたのです。


それを見逃さなかった医者は、

ぜひそれを見せてほしい、と申し込みます。

しまった、と思ったが、後の祭り、シブシブ、


「これは私の懐中時計だが、しばらくお見せしましょう」


と医者に見せる。

医者は、早速、聴診器を取り出し、

時計を診察して言ったのです。


「お坊さん、この時計は、

 まだコチコチと生きていますから、私が預かります。

 死んだらあなたにお渡ししましょう」


医者は、笑いながら立ち去ったといいます。


…◆……◆……◆…


僧侶に、時計をネコババさせた上、

「死人を相手にするのが僧侶でしょ」

と言わんばかりのこの笑い話は、

いったい何を物語っているでしょう。


葬式にやってきて、わけのわからないお経を読んで、

出されたご馳走を食べ、お酒を飲んで、

お布施を受け取って帰っていくだけなら、

来ないほうがよっぽどましです。


先日も、知人が近所の通夜に行って来た時、

住職が阿弥陀経を読経したそうですが、

わずか10分ほどで終わり、世間話をして

帰っていった、と言っていました。


そんなことで、どうして遺族の方が喜ばれるでしょう。


悲しみにうちひしがれる遺族の方の心情を受け止めて、

そして、遺族の方と参列された皆さんの仏縁を念じ、読経し、

お釈迦様の教えを伝えるのが僧侶の仕事ではないでしょうか。


ひどい話になると、お布施が少なかったと言って、

あとで寺から請求が来る、ということも聞きます。

仏法者として、論外です。


まずは自分自身が、よくお釈迦様、親鸞聖人の教えを学んで、

正しくお伝えしていくようにしなければなりません。


さて、今回は、「お盆」についてです。


もうすぐお盆ですが、

「そもそも“お盆”って何なの?」

とよく聞かれます。


お盆とは、正しくは「盂蘭盆」(うらぼん)といって、

『仏説 盂蘭盆経』から起こったものです。

このお経には、こんなお話が説かれています。


お釈迦さまの十大弟子の一人に、

目連尊者という、大変孝行な人がありました。


ところが、亡くなったお母さんは、

餓鬼道という苦しみの激しい世界に堕ちて苦しんでいたのです。


深く悲しんだ目連は、鉢に飯を盛って捧げたのですが、

お母さんが喜んで食べようとすると、

たちまちその飯は火炎と燃え上がり、

どうしても食べることができません。

目連は悲しみ、

「どうしたら母を救うことができましょうか」

と、お釈迦様にお尋ねしました。


お釈迦様は、

「そなた一人の力ではどうにもならぬ。

 7月15日に、十方の大徳衆僧に供養しなさい。

 供養の功徳は大きいから、母は餓鬼道の苦難から免れるだろう」

と仰有いました。


目連が仰せに従うと、母はたちどころに、

餓鬼道から天上界に浮かぶことができたといいます。


この喜びのあまり踊ったのが盆踊りの始まりと言う人もあります。


一体これは私たちに何を教えているのか、

私の先生から聞いた話を、皆さんに紹介しましょう。


・・・・・・・・・・


ウラボンという梵語は倒懸(とうけん)ということです。

すなわち「倒さに懸かれる者」ということです。

ですから『孟蘭盆経』とは、

「倒さに懸かれる者を救う方法を教えた経」

ということです。


果たして、倒さまに懸かって苦しんでいるのは

目連の亡き母だけでしょうか。


死後にだけ餓鬼道があるのではありません。


腹だけが馬鹿に大きく、皮骨連立の奇形動物だけを

餓鬼だと思っていたら、大間違いなのです。


迷いを迷いと思われず、真実を真実と信じられず、

迷いを真実と誤解して苦しみ悩んでいる者は、

仏眼からごらんになると、皆倒さに懸かって苦しんでいる餓鬼なのです。


親鸞聖人は、

「世の中のこと、皆もって、空事・たわごと・真実あること無し、

 ただ念仏のみぞ、まことにて在します」

とおっしゃっています。


キリのある身命を持ちながら、キリのない欲を満たしてから

仏法を聞こうと考えている大馬鹿者の、いかに多いことでしょう。

皆、倒さに懸かっている者ばかりです。


だから、地位あり、財産あり、妻子ある者は、

それらによってますます苦しみ、

それらの無い者は、これらを求めてますます悩んでいるのです。


有るも苦なら、無いのも苦であります。

無ければ欲しい、あっても欲しい、

欲しい欲しいと飢え続け、渇き続け、ウラミ続け、のろい続け、

満足ということを知らず苦しんでいる餓鬼ばかりではありませんか。

一体、どこに真実の幸せを喜んでいる人がありましょうか。


一切の人々が真実の弥陀の本願を知らず、

すべての考えが顛倒(てんどう)していますから、

四方八方ただ愁嘆の声のみが満ち満ちているではありませんか。

これがまさしく餓鬼道の相(すがた)です。


物を求め、物を惜しみ、闘争諍乱(とうそうじょうらん)の世界。


この深刻な現実の自己を凝視する時、

餓鬼こそ自己の実相であることに驚くのです。

亡き祖先の後生ばかりを案じて、わが身が餓鬼であることを忘れています。


お盆は、亡き祖先を救う日ではなく、

今、現に倒さに懸かって飢え、渇き、苦しみ続けて、

未来永劫、流転(るてん)せんとしている、

わが身自身を救う聞法精進の日であることを忘れてはなりません。


・・・・・・・・・・


お盆は、自分自身を救う聞法精進の日なんですね。

朝から晩まで、仕事仕事に追われて生きている人が

ほとんどですが、仕事をするために生まれてきたのではありません。

仕事はあくまで、生きる手段。

ならば、何のために生きるのか、生きる目的は何なのか?

親鸞聖人は、その答えをズバリ明示しておられるのです。


お盆は、ぜひ仏法を聞かせていただく日にしましょう☆


━ ぴょんたの ◆◆
◆◆ ひとりごと ━


明日は、滑川市民交流プラザで勉強会です。

がんばります☆


そして、日曜日の晩、私は夜行バスで大阪へ。

月曜日、そこから鳥取へと参ります。


ぜひ仏教の話を聞きたいから、とありがたい話を頂いて、

行ってまいります☆



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