仏教は、「後生の一大事」を知るところから始まり、
「後生の一大事」の解決で終わります。
それほど仏教を知るに大事なキーワードが
「後生の一大事」です。
後生の一大事について、
●後生の一大事とは
の記事で解説をしましたが、
続けてお釈迦さまの教えを学んでいきたいと思います。
お釈迦さまは、七千巻余り説かれた中の、
ただ一つの真実のお経である
『大無量寿経』(だいむりょうじゅきょう)に、
「後生の一大事」を、
「従苦入苦、従冥入冥」
(じゅうくにゅうく じゅうみょうにゅうみょう)
“苦より苦に入り、冥(やみ)より冥(やみ)に入る”
とも説かれています。
お釈迦さまは、どんなことを言われているのでしょうか?
これは、
苦から苦、冥(やみ)から冥(やみ)の綱渡りで、
今、苦しみ悩みの絶えない者は、
必ず死後も苦しみを受ける。
現在が闇の生活を送っている人は、
死後もまた、闇の地獄ヘ堕ちていく、
「この世のジゴクから、死後のジゴクへと堕ちていく」
とおっしゃったお釈迦さまのお言葉です。
「え?どういうこと?」
と思われる方が多いでしょう。
もっと詳しく解説しましょう。
「ジゴク」というのは中国の昔の言葉ですが、
日本の言葉で言いますと、
「苦しみの世界」
ということです。
“この世のジゴク”
というのは、
何のために生きているのか分からず、
毎日が不安で、暗い生活をしていること
をいいます。
自分の業(ごう:行為)が生み出す苦しみですから、
「自業苦」
とも書きます。
蚕(かいこ)は自ら吐いた糸で繭(まゆ)に閉じ込められ、
湯玉に煮られて苦しむように、
心ない発言で人を傷つけ(=悪い行い)、
自らも傷ついたり(=悪い結果を受ける)、
暴力振るって(=悪い行い)
妻に逃げられ、途方に暮れる(=悪い結果を受ける)
など、「身から出たさび」の実例はあふれています。
「苦労してでも育てておけば、
老いても大事にしてくれるに違いない」
の思惑が外れて、生んだわが子に虐待され、
「こんなことなら生まなきゃよかった」
「自分ほど業(ごう)な者はおらん」
と愁嘆する老母の声は、周囲に満ちています。
科学は進歩して、物は豊かになりましたが、
日々、同じことの繰り返しで、
「こんな毎日にどんな意味があるんだろう」
と虚しい心を抱えて暮らしている。
満員電車に揺られている人々の中に、
心からの晴れやかな笑顔はどれだけあるでしょう。
仕事や子育てにすべてを傾けてきた。
それなりに充実感はあったけど、
“これで人生終わっていいのか”
と思うと、
“何かやり残したことがあるのでは?”
とスッキリしない心はないでしょうか。
心の奥は、
何のために生まれ、
生きているのか分からない。
“生まれてきてよかった”という生命の歓喜がない。
そんな心を“闇の心”というのです。
何不自由のない生活を送っている人の中にも、
人知れず、真っ暗な心に悩んでいる人があります。
ある一人の女子大生が、カウンセラーの教授を訪ねて、
こんな相談をしてきました。
・・・・・・・・・・
私は、何か特別な悩みがあるわけでもなければ、
すぐに解決しなくてはならない問題を
抱えているわけでもありません。
だから本当は、ここに来る必要はないのかもしれない。
けれど、毎日がとにかくむなしくて、つまらなくて、
たまらないんです。
それを何とかしたいと思って
サークルに入ってみたり、
友達と深夜まで遊んでみたり、
やたらと勉強してみたりしたのだけれど、
どれもうまくいかない。
その時々はもちろん、
楽しくなったり充実した気持ちになることはあります。
けれど、どれも瞬間的なもので、すぐに冷めてしまうんです。
(中略)
最近は、何をやってものめりこむことができません。
遊んでいても授業に出ていても、
そんなことをしている自分を見ている
もう一人の自分がいて、
「こんなことやって何になるんだろう」
という気持ちになってくるんです。
友だちと遊んでいるとみんな楽しそうだから、
「こんなこと思ってるの私だけなんだ」
と思って、余計に落ち込んでしまいます。
一番ツライのは、雰囲気壊しては悪いから、
笑顔をつくろい続けなくてはならないこと。
大学ももう、やめてしまおうと思ったけれど、
親に悪いし、ほかに特にやりたいことがあるわけでもないから、
とりあえず続けています。
私だって、このままでいいと思っているわけではありません。
一刻もはやくこのむなしさの蟻地獄から脱け出したい。
でも、どうしたらいいかわからない。
そのきっかけがつかめないんです。
先生、私どうすればいいんですか。
助けてください……。
(『むなしさの心理学』諸富祥彦 著)
・・・・・・・・・・
現在が闇の心で真っ暗な生活を送っている人は、
未来も闇の世界へ入っていかねばならないと、
「冥(やみ)より冥(やみ)に入る」
とお釈迦さまは、示しておられます。
多くの人が、お釈迦さまのいわれる
「この世の自業苦」
に人知れず呻(うめ)き、
悶(もだ)えているのではないでしょうか。
このような、
現在が心の暗い生活を送っている人は、
死後も必ず真っ暗闇のジゴクへ堕ちて
苦しまねばならないことを、
お釈迦さまは、
「従苦入苦、従冥入冥」
“苦より苦に入り、冥より冥に入る”
と説かれているのです。
では、死後のジゴクとは、どんな世界なのでしょうか?
さらにお釈迦さまにお聞きしてみたいと思います。
続きは次回に。
>> 死後の地獄
━ ぴょんたの ◆◆
◆◆ ひとりごと ━
1月27日の読売新聞の「編集手帳」からです。
・・・・・・・・・・
ルノワールと聞いて、薔薇(ばら)色の頬(ほお)をした
可憐(かれん)な少女を思い浮かべる人も多かろう。
生命力あふれる肖像画によって
「幸福の画家」
と呼ばれるその人も、当初の評判は散々で、
光の点々を描く技法は“腐乱死体”との
悪評を浴びたという。
(中略)
新しいことを始める人に受難はつきもの、
印象派の巨匠も例外ではなかったらしい。
・・・・・・・・・・
この記事を読んで思い出したのが、
親鸞聖人のなされた肉食妻帯(にくじきさいたい)でした。
親鸞聖人は、31歳のとき、
関白・九条兼実公の娘、玉日姫と
公然と結婚をなされました。
当時、僧侶が結婚をする、というのは、
考えられないことでしたので、
仏教界からも、世間からも大変な非難が
巻き起こりました。
しかし、
僧侶も、在家の人も、男も、女も、賢い人も、愚かな人も、
ありのままの姿で救われるのが本当の仏教で
あることを、身をもって明らかにするために、
非難を覚悟された上で、親鸞聖人は結婚を断行されました。
僧侶で公然と結婚なされたのは、親鸞聖人が最初です。
「内緒で結婚すれば良かったんじゃないの?
当時、隠れて結婚する僧侶はそれなりにいたんだから」
ということも、歴史に詳しい人は思うでしょう。
しかし、親鸞聖人のあの肉食妻帯がなかったら、
果たして一般の私たちが、
仏教の教えを聞く、ということはなかったことかも知れません。
時代を切り開いてくとき、受難はつきもの。
覚悟を決めて、進みたい。
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それほど仏教を知るに大事なキーワードが
「後生の一大事」です。
後生の一大事について、
●後生の一大事とは
の記事で解説をしましたが、
続けてお釈迦さまの教えを学んでいきたいと思います。
お釈迦さまは、七千巻余り説かれた中の、
ただ一つの真実のお経である
『大無量寿経』(だいむりょうじゅきょう)に、
「後生の一大事」を、
「従苦入苦、従冥入冥」
(じゅうくにゅうく じゅうみょうにゅうみょう)
“苦より苦に入り、冥(やみ)より冥(やみ)に入る”
とも説かれています。
お釈迦さまは、どんなことを言われているのでしょうか?
これは、
苦から苦、冥(やみ)から冥(やみ)の綱渡りで、
今、苦しみ悩みの絶えない者は、
必ず死後も苦しみを受ける。
現在が闇の生活を送っている人は、
死後もまた、闇の地獄ヘ堕ちていく、
「この世のジゴクから、死後のジゴクへと堕ちていく」
とおっしゃったお釈迦さまのお言葉です。
「え?どういうこと?」
と思われる方が多いでしょう。
もっと詳しく解説しましょう。
「ジゴク」というのは中国の昔の言葉ですが、
日本の言葉で言いますと、
「苦しみの世界」
ということです。
“この世のジゴク”
というのは、
何のために生きているのか分からず、
毎日が不安で、暗い生活をしていること
をいいます。
自分の業(ごう:行為)が生み出す苦しみですから、
「自業苦」
とも書きます。
蚕(かいこ)は自ら吐いた糸で繭(まゆ)に閉じ込められ、
湯玉に煮られて苦しむように、
心ない発言で人を傷つけ(=悪い行い)、
自らも傷ついたり(=悪い結果を受ける)、
暴力振るって(=悪い行い)
妻に逃げられ、途方に暮れる(=悪い結果を受ける)
など、「身から出たさび」の実例はあふれています。
「苦労してでも育てておけば、
老いても大事にしてくれるに違いない」
の思惑が外れて、生んだわが子に虐待され、
「こんなことなら生まなきゃよかった」
「自分ほど業(ごう)な者はおらん」
と愁嘆する老母の声は、周囲に満ちています。
科学は進歩して、物は豊かになりましたが、
日々、同じことの繰り返しで、
「こんな毎日にどんな意味があるんだろう」
と虚しい心を抱えて暮らしている。
満員電車に揺られている人々の中に、
心からの晴れやかな笑顔はどれだけあるでしょう。
仕事や子育てにすべてを傾けてきた。
それなりに充実感はあったけど、
“これで人生終わっていいのか”
と思うと、
“何かやり残したことがあるのでは?”
とスッキリしない心はないでしょうか。
心の奥は、
何のために生まれ、
生きているのか分からない。
“生まれてきてよかった”という生命の歓喜がない。
そんな心を“闇の心”というのです。
何不自由のない生活を送っている人の中にも、
人知れず、真っ暗な心に悩んでいる人があります。
ある一人の女子大生が、カウンセラーの教授を訪ねて、
こんな相談をしてきました。
・・・・・・・・・・
私は、何か特別な悩みがあるわけでもなければ、
すぐに解決しなくてはならない問題を
抱えているわけでもありません。
だから本当は、ここに来る必要はないのかもしれない。
けれど、毎日がとにかくむなしくて、つまらなくて、
たまらないんです。
それを何とかしたいと思って
サークルに入ってみたり、
友達と深夜まで遊んでみたり、
やたらと勉強してみたりしたのだけれど、
どれもうまくいかない。
その時々はもちろん、
楽しくなったり充実した気持ちになることはあります。
けれど、どれも瞬間的なもので、すぐに冷めてしまうんです。
(中略)
最近は、何をやってものめりこむことができません。
遊んでいても授業に出ていても、
そんなことをしている自分を見ている
もう一人の自分がいて、
「こんなことやって何になるんだろう」
という気持ちになってくるんです。
友だちと遊んでいるとみんな楽しそうだから、
「こんなこと思ってるの私だけなんだ」
と思って、余計に落ち込んでしまいます。
一番ツライのは、雰囲気壊しては悪いから、
笑顔をつくろい続けなくてはならないこと。
大学ももう、やめてしまおうと思ったけれど、
親に悪いし、ほかに特にやりたいことがあるわけでもないから、
とりあえず続けています。
私だって、このままでいいと思っているわけではありません。
一刻もはやくこのむなしさの蟻地獄から脱け出したい。
でも、どうしたらいいかわからない。
そのきっかけがつかめないんです。
先生、私どうすればいいんですか。
助けてください……。
(『むなしさの心理学』諸富祥彦 著)
・・・・・・・・・・
現在が闇の心で真っ暗な生活を送っている人は、
未来も闇の世界へ入っていかねばならないと、
「冥(やみ)より冥(やみ)に入る」
とお釈迦さまは、示しておられます。
多くの人が、お釈迦さまのいわれる
「この世の自業苦」
に人知れず呻(うめ)き、
悶(もだ)えているのではないでしょうか。
このような、
現在が心の暗い生活を送っている人は、
死後も必ず真っ暗闇のジゴクへ堕ちて
苦しまねばならないことを、
お釈迦さまは、
「従苦入苦、従冥入冥」
“苦より苦に入り、冥より冥に入る”
と説かれているのです。
では、死後のジゴクとは、どんな世界なのでしょうか?
さらにお釈迦さまにお聞きしてみたいと思います。
続きは次回に。
>> 死後の地獄
━ ぴょんたの ◆◆
◆◆ ひとりごと ━
1月27日の読売新聞の「編集手帳」からです。
・・・・・・・・・・
ルノワールと聞いて、薔薇(ばら)色の頬(ほお)をした
可憐(かれん)な少女を思い浮かべる人も多かろう。
生命力あふれる肖像画によって
「幸福の画家」
と呼ばれるその人も、当初の評判は散々で、
光の点々を描く技法は“腐乱死体”との
悪評を浴びたという。
(中略)
新しいことを始める人に受難はつきもの、
印象派の巨匠も例外ではなかったらしい。
・・・・・・・・・・
この記事を読んで思い出したのが、
親鸞聖人のなされた肉食妻帯(にくじきさいたい)でした。
親鸞聖人は、31歳のとき、
関白・九条兼実公の娘、玉日姫と
公然と結婚をなされました。
当時、僧侶が結婚をする、というのは、
考えられないことでしたので、
仏教界からも、世間からも大変な非難が
巻き起こりました。
しかし、
僧侶も、在家の人も、男も、女も、賢い人も、愚かな人も、
ありのままの姿で救われるのが本当の仏教で
あることを、身をもって明らかにするために、
非難を覚悟された上で、親鸞聖人は結婚を断行されました。
僧侶で公然と結婚なされたのは、親鸞聖人が最初です。
「内緒で結婚すれば良かったんじゃないの?
当時、隠れて結婚する僧侶はそれなりにいたんだから」
ということも、歴史に詳しい人は思うでしょう。
しかし、親鸞聖人のあの肉食妻帯がなかったら、
果たして一般の私たちが、
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