今回は、龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ)と言われる方について解説しましょう。
世界史では、ナーガールジュナと習ったような記憶があります。
約1900年前のインドの人です。
仏教を説かれたお釈迦さまは楞伽山(りょうがせん)で、大衆に予言をなされました。
「700年後の南インドに、龍樹が現れて、ことごとく有無の見を破るであろう」
と。
「有の見」(うのけん)とは、死後、肉体は滅びても、固定不変の霊魂が存続するという教えで、「常見外道」と言われる考え方です。
「無の見」は反対に、「死後は無になる」という教えで「断見外道」ともいわれます。
仏法では、有の見も無の見も誤りだと教えられますから、
龍樹菩薩は、「有無の見」の誤りをともに打ち破られました。
そして、「小釈迦」「八宗の祖師」と今日、賛えられています。
でも、そのような龍樹菩薩も、はじめから仏縁の深い、立派な人だったのではありませんでした……。
・・・・・・・・・・
自信に満ちている。
全身が、である。
青年は南インドの大地に向かって、
「俺はもう天下の学問を成し終わった。すでに学ぶべきものは何もない」
と叫んだ。
年はと言えば、まだ20歳そこそこである。
他人が聞けば、これ程の傲慢はない。
若者の名は龍樹(りゅうじゅ)と言った。
南インド、コーサラ国のバラモンの家に生を受けた天才児である。
生来の聡明な頭脳をもって幼少にしてバラモン教の四ヴェーダの経文をすべてそらんじ、教義も理解してしまった。
更に青春の頃には、インド中を清新な知識を求めて経巡り、
天文学、薬学、錬金術、易学、手当たり次第に習得し、学び尽くしていったのである。
龍樹に出会う者、ただ彼の学問の深さに驚き、舌を巻くばかり。
20歳の頃にはインド国内に並ぶ者のない天才として名声をほしいままにしていた。
世は仏滅後700年(お釈迦さまが亡くなって700年)。
お釈迦さまが亡くなられた後、大迦葉(だいかしょう)等の七賢聖僧たちによって伝持されていた仏教は次第に衰え、
九十五種の外道が競い起こり、宗教界は混乱の極に達していた。
お釈迦さまはその様な時代の推移を、すでに見通され『楞伽経』(りょうがきょう)に、
「未来世に当(まさ)に我(わが)法を持(たも)つ者あるべし。
南天竺(みなみてんじく)の中、大名徳の比丘(びく)あらん。
その名を龍樹となす。
能(よ)く有無の宗を破し、世間の中にして我が無上大乗の法をあらわし
初歓喜地(しょかんぎじ)を得て、安楽国に往生せん」
と大衆の前で予言をしておられる。
その予言の如く、あらわれたのが、この龍樹である。
しかし、彼が、真実の仏法を知り、お釈迦さまの予言どおりに活躍するのは、さまざまな曲折を経て後のことであった。
龍樹には3人の勝れた親友があった。
友人たちの学問も人並みではない。
その友人たちと交友を重ねていたある時、
「お互いもう学問という学問は学び尽くしてしまったし、楽しみがなくなってしまったな」
と、一人が言うと他の男が、
「何を言うか。確かに学問の楽しみは、もうないが、快楽とはそればかりではないぞ。
我々はまだ、肉体の歓びを十分に味わっていないではないか」
と人間最高の歓楽は情欲にあるのだ、と主張した。
情欲と聞き3人の若い血潮は騒いだ。
そして4人は、色欲の満足を求めて巷の女性を誘惑し、各自の欲望の餌食としていったのである。
市井に美女を求め、女漁りを続けていた4人は、やがて並の女性では満足できなくなり
相談の結果、城の後宮に忍び込み、国王の寵愛している女性達を、自分達の情痴の餌としようとした。
後宮こそ、国内随一の美女の宝庫、国中からすぐった麗人が住んでいる。
ある晩、夜陰に乗じて、龍樹たちは、巧みに王宮に潜入し、目指す後宮の女性たちの部屋に侵入した。
国王の愛人たちは最初はこの意外な闖入者に驚きの色を示したが、
別に危害を加えられるのでもなく、龍樹たちの目的が、自分らの肉体であると知った時、
もはや、騒ぎ立てるような愚かな真似はしなかった。
数十人で、たった一人の、中年も過ぎた国王の寵愛を競っていた彼女たちにとって、
国王の肥満した体とは対照的な、龍樹たちのたくましい魅力的な肉体は、かえって歓迎すべきものだったのである。
こうして、4人は夜な夜な思いのままに、美女たちと戯れあった。
>> 龍樹菩薩の話(つづき)
■┓徒然なる ●┓
┗● ひとり言┗■
「Googleは、もはや中国で検索結果の検閲を行うつもりはない。
そして、もし中国政府からの妨害があれば、Googleはサーバを撤去して、同国から撤退してしまうかもしれない」
新聞の報道にこのようにありました。
中国での情報の検閲は、かなり厳しいと聞いています。
たとえば、天安門事件についての情報は、国内では見ることが出来ない、と中国の人から聞きました。
天安門事件が起きたのは、1989年。
その時、私は香港に住んでいました。
香港日本人学校中学部に通っていて、天安門事件のときは、休校となりました。
かなり、緊張した雰囲気で、ドキドキしたことを思い出します。
戦車が街中を行き来し、厳戒態勢がとられていた当時の映像は、今でもハッキリ覚えています。
まだ中学生だったこともあって、事情については、よく理解していませんでしたが、衝撃的な事件であったことはわかりました。
国家権力による言論の弾圧があり、いろいろと考えさせられる事件です。
あれから20年以上も経つのですね。
ついこのあいだのことのように思うのですが……。
今の大学生は、この事件が起きたときには生まれていなかったのだなぁ、と思うと、ちょっと驚きです。
過ちを繰り返さないためにも、歴史を学ぶことは大切ですね。
歴史好き女子(歴女)が増えていると聞きますが、いろいろな意味で、歴史に関心を持つ人が増えるといいな、と思います。
今回の記事は、1900年も前の話でしたが(次回も続きますよ)、
時代や場所が変わっても、変わらない真実を、仏教は伝えています。
(*^-^)
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世界史では、ナーガールジュナと習ったような記憶があります。
約1900年前のインドの人です。
仏教を説かれたお釈迦さまは楞伽山(りょうがせん)で、大衆に予言をなされました。
「700年後の南インドに、龍樹が現れて、ことごとく有無の見を破るであろう」
と。
「有の見」(うのけん)とは、死後、肉体は滅びても、固定不変の霊魂が存続するという教えで、「常見外道」と言われる考え方です。
「無の見」は反対に、「死後は無になる」という教えで「断見外道」ともいわれます。
仏法では、有の見も無の見も誤りだと教えられますから、
龍樹菩薩は、「有無の見」の誤りをともに打ち破られました。
そして、「小釈迦」「八宗の祖師」と今日、賛えられています。
でも、そのような龍樹菩薩も、はじめから仏縁の深い、立派な人だったのではありませんでした……。
・・・・・・・・・・
自信に満ちている。
全身が、である。
青年は南インドの大地に向かって、
「俺はもう天下の学問を成し終わった。すでに学ぶべきものは何もない」
と叫んだ。
年はと言えば、まだ20歳そこそこである。
他人が聞けば、これ程の傲慢はない。
若者の名は龍樹(りゅうじゅ)と言った。
南インド、コーサラ国のバラモンの家に生を受けた天才児である。
生来の聡明な頭脳をもって幼少にしてバラモン教の四ヴェーダの経文をすべてそらんじ、教義も理解してしまった。
更に青春の頃には、インド中を清新な知識を求めて経巡り、
天文学、薬学、錬金術、易学、手当たり次第に習得し、学び尽くしていったのである。
龍樹に出会う者、ただ彼の学問の深さに驚き、舌を巻くばかり。
20歳の頃にはインド国内に並ぶ者のない天才として名声をほしいままにしていた。
世は仏滅後700年(お釈迦さまが亡くなって700年)。
お釈迦さまが亡くなられた後、大迦葉(だいかしょう)等の七賢聖僧たちによって伝持されていた仏教は次第に衰え、
九十五種の外道が競い起こり、宗教界は混乱の極に達していた。
お釈迦さまはその様な時代の推移を、すでに見通され『楞伽経』(りょうがきょう)に、
「未来世に当(まさ)に我(わが)法を持(たも)つ者あるべし。
南天竺(みなみてんじく)の中、大名徳の比丘(びく)あらん。
その名を龍樹となす。
能(よ)く有無の宗を破し、世間の中にして我が無上大乗の法をあらわし
初歓喜地(しょかんぎじ)を得て、安楽国に往生せん」
と大衆の前で予言をしておられる。
その予言の如く、あらわれたのが、この龍樹である。
しかし、彼が、真実の仏法を知り、お釈迦さまの予言どおりに活躍するのは、さまざまな曲折を経て後のことであった。
龍樹には3人の勝れた親友があった。
友人たちの学問も人並みではない。
その友人たちと交友を重ねていたある時、
「お互いもう学問という学問は学び尽くしてしまったし、楽しみがなくなってしまったな」
と、一人が言うと他の男が、
「何を言うか。確かに学問の楽しみは、もうないが、快楽とはそればかりではないぞ。
我々はまだ、肉体の歓びを十分に味わっていないではないか」
と人間最高の歓楽は情欲にあるのだ、と主張した。
情欲と聞き3人の若い血潮は騒いだ。
そして4人は、色欲の満足を求めて巷の女性を誘惑し、各自の欲望の餌食としていったのである。
市井に美女を求め、女漁りを続けていた4人は、やがて並の女性では満足できなくなり
相談の結果、城の後宮に忍び込み、国王の寵愛している女性達を、自分達の情痴の餌としようとした。
後宮こそ、国内随一の美女の宝庫、国中からすぐった麗人が住んでいる。
ある晩、夜陰に乗じて、龍樹たちは、巧みに王宮に潜入し、目指す後宮の女性たちの部屋に侵入した。
国王の愛人たちは最初はこの意外な闖入者に驚きの色を示したが、
別に危害を加えられるのでもなく、龍樹たちの目的が、自分らの肉体であると知った時、
もはや、騒ぎ立てるような愚かな真似はしなかった。
数十人で、たった一人の、中年も過ぎた国王の寵愛を競っていた彼女たちにとって、
国王の肥満した体とは対照的な、龍樹たちのたくましい魅力的な肉体は、かえって歓迎すべきものだったのである。
こうして、4人は夜な夜な思いのままに、美女たちと戯れあった。
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そして、もし中国政府からの妨害があれば、Googleはサーバを撤去して、同国から撤退してしまうかもしれない」
新聞の報道にこのようにありました。
中国での情報の検閲は、かなり厳しいと聞いています。
たとえば、天安門事件についての情報は、国内では見ることが出来ない、と中国の人から聞きました。
天安門事件が起きたのは、1989年。
その時、私は香港に住んでいました。
香港日本人学校中学部に通っていて、天安門事件のときは、休校となりました。
かなり、緊張した雰囲気で、ドキドキしたことを思い出します。
戦車が街中を行き来し、厳戒態勢がとられていた当時の映像は、今でもハッキリ覚えています。
まだ中学生だったこともあって、事情については、よく理解していませんでしたが、衝撃的な事件であったことはわかりました。
国家権力による言論の弾圧があり、いろいろと考えさせられる事件です。
あれから20年以上も経つのですね。
ついこのあいだのことのように思うのですが……。
今の大学生は、この事件が起きたときには生まれていなかったのだなぁ、と思うと、ちょっと驚きです。
過ちを繰り返さないためにも、歴史を学ぶことは大切ですね。
歴史好き女子(歴女)が増えていると聞きますが、いろいろな意味で、歴史に関心を持つ人が増えるといいな、と思います。
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