昨年辺りからずっと気になっていた長野に本社がある山翠舎さんに視察をやっと行うことができた。
私が所属するある会を通じて、視察をお願いしていたのだが、何度もリスケして、ほぼ1年越しの視察となった。
世の中にはモノがあふれまくっている。人口が減ってもなお、モノをつくりまくっている感じだ。
そんな中、今現にあるものを最大限に活かして行く取り組みがあちこちでも見られるようになった。
先日、日南町で訪れた白谷工房さんもそうだが、今回の山翠舎さんも、間違いなくサーキュラーエコノミーの雄と言って間違いない。
ご存知の通り、そういった古い木材は、生活の跡が染み付いていて、ほぞ穴があったり、加工後が残っていたり、さらには、生活で使われた際に出る傷なども残っていたりする。
しかし、何十年、時には何百年経っている木材たちはまるで生き物のように個性を持っている。
何より、昔の普請は今とは比べ物にならないぐらいいい材料を作っていたりする。
そんなモノたちを丁寧に再利用していくのは、理にかなっている。
というより、むしろそれこそが本質なのではとも思ったりする。
やっていることは、割とシンプルだけど、ここまでのストックを行って事業やり切るのは難しい。
我々が真似してできるものでもない。
どんな事業もそうだが、マネできそうなことだと思っても、それをやり切るには哲学が必要だ。
自分の信じたことを愚直にやり切る。
人間これが、本当に正しいのか…途中迷ったりするものだ。
だけれど、それをやりきってこそ、見える世界がある。
自分は果たして哲学があるとだろうか…