『まちづくり長野』さんに、研修をお願いし、長野市のまちづくりについてお話を聞く機会を得た。
まちづくり長野さんで行っている9軒長屋の廃屋群を再生し、商業施設に再生した案件などについて説明をいただいた。
今、全国中空き家問題はあり、長野市も例外ではない。
さまざまな工夫やご努力で、その廃屋群は今は元気に商業施設としてのにぎわいを取り戻していた。
二つ印象に残ったことがある。
一つは、まちの再生には、地域に住む人が、どういうマチをつくりたいのかという明確な意思をもつ必要がある
ということ。
9軒長屋を復活させるにあたり、苦労したことの一つがそのエリアを旗振る人がいなかったことらしい。
まちづくりの再生においては、建築士や、大工などのいわゆる物理的な仕事をする人は大勢いる。
しかし、彼らには、自分たちがこの建物をどうしたいのか、コノマチをどうしたいのか…という意思は通常もたない。
というより、もてないといったほうがいい。
やはりそこは、建物オーナーや、地域住民の意思というものが必要だ。
昔、農耕が中心だったころは、封建的な社会だった。そこを納める大名がいて、その中に小作人がいたが、大名は、自分たちの納める場所をこんな場所にしたいという強いリーダーシップがあったがために、その人の旗のもとに、まちづくりが強力にすすめることができたという一面もあったという。
民主主義社会になり、誰もが平等なチャンスを得たとしても、このマチをどうしたいのかというリーダーがいなければ、逆に誰もこのマチに責任をとらないという事態がおきていく。
だから、旗を振る強力なリーダーがそこに必要なのだ。
もう一つ。
まもなく長野では郊外に巨大なショッピングモールが誕生するらしい。
どの地方もそうなのだが、やはり、大きなショッピングモールの存在は強大で、経済はかなりそこに吸い取られ、中心市街地は必ずダメージを受けるという。
ショッピングモールを展開する大資本も、自分たちのプレゼンスを強力に発揮し、本気で顧客を取りに行く。
当たり前と言えば当たり前だ。
しかも、そこは素人の烏合の衆ではなく、百戦錬磨の兵(つわもの)ときている。
ここ10年ぐらいは、そちらに顧客が流れをとめることはできないだろう。
そんな彼らに普通に戦ったとて勝てるわけがない。
それは必然の理としても、ではそれでもとうやって戦っていくのか。
それは、歴史と文化を紡ぎ、丁寧に一つづつ作り込んでいくしかないのだそうだ。
ある意味、地方での戦いの定石であり、結局、戦いかたにそんな目新しさはないということだ。
ただ、その定石どおり忠実に愚直に行っているかどうか、そこはその人やマチの本気度が問われる。歴史と文化を紡げるのは、やはり地元の人間しかいないのだ。