今年も盆は、普通にやってきた。
父親が介護者になって、何年にもなり、母も墓の手入れも苦痛を感じてきていて、跡継ぎとしては、墓守を命ぜられて、なんとか墓掃除をしてはいるものの、母からの強烈なダメ出しを今年も食らい真の跡継ぎへの道はまだまだ遠いと感じる今日この頃である…。
当家の墓は、私の自宅の横の小道を100mほどあがったところにある。
その小道は、その奥に田畑があり、また墓への道中の両脇に、2軒の家がある生活道路だった。
だが、田畑は耕作放棄地となって誰も作る人がいなくなり、2軒あった家も、片方が15年ほど前に空き家となり、もう1軒は、3年ほど前に空き家になって、その小道は墓へ行くためだけのものとなってしまった。
これまでは、まったく意識しなかったのだが、人が道として利用しなくなると、脇の草木は、伸びて道にせり出し、コンクリート舗装された道には、落ち葉が堆積し、コンクリートの割れ目からは草が生えてくるようになった。
墓掃除をしたあと、その小道も落ち葉を拾い集めたり、両脇を刈り払い機で草をなぎ倒し、なんとか秩序ある道を取り戻した。
村の高齢化、過疎化を肌身をもって感じた一日だった。
私はお盆のこれらの行事は日本人として大事にしたいものだと常々思っている…(母からすれば、まともに、墓守もできていないことに鼻で笑われるかもしれないけど…)
ただ、これらの行事もこういった余分に手をかけることが増えてくるにつれ、その思いとは裏腹に、重荷を感じてきていることもまた事実である。
将来を見通してみても、年々荷が重くなることははっきりしているので、将来、これらの行事も続けられることができなくなるのではないか…
そんな思いもまた頭をよぎる。
一つの宗教行事にすぎないけれど、田舎を象徴する大事な行事である。
なんとかノスタルジーで終わることなく、ずっと続けられることを願うばかりである。