昨日、とある高校で、2年生、3年生を対象とした仕事説明会があった。
参加した企業は6社で、そのうち、うちの会社を含めた4社が建設会社で、うち以外は、但馬大手の企業だった。
6グループに分かれた生徒たちが、15分づつに区切られた時間の中で、説明をしていくというスタイルである。
高校の就職は、7月1日からが実質的な解禁日であるので、具体的就業条件等を説明することはできず、あくまで『仕事』を学ぶという機会の提供であることを主催者から強く言われていた
今回の参加企業は建設会社が4社もいるので、彼らを意識しないわけにはいかない。
ティーンエイジャーの彼らが、仕事というものに対して、何を感じているのか、そんなことを想像し、プレゼンを行わなくてはならない。
目の前にいる高校生たち一人ひとりも、十人十色の生きざま、考え方があり、すべての人にフィットするようなことなどどだい無理な話だ。
事業の規模は、同じ建設会社の中でも、もっとも小さく、規模を誇るわけにもいかないし、施工の実績だって、我々よりはるかに多彩だ。
そう考えると、アドバンテージはほとんどないようなものだが、唯一いえるのは、仕事をおもしろいと感じるマインドは、企業の規模にも関係がないし、どんな施工物件に出会ったかというのも関係ない。
自らがかかわった仕事がおもしろいと感じれば、それが清掃の作業だろうが、高度な計画を立案する場面だろうが関係がない。
人それぞれも楽しさの定義は千差万別だが、楽しいという気持ちを創出するのは、自分にとってより困難な課題に向かってチャレンジし、それを乗り越えたときであることは、ある意味共通したものではないのかな…
とそんなふうに思う。
彼らに自分なりの仕事の楽しさを伝えることに徹したつもりだ。
賃金は高い方がいいし、休みも多い方がいい。
昨今の仕事に対する考え方は、就業の条件ばかりにフォーカスされすぎているような気がする。
その得た所得、得た休みをどんなことに使い、人生を豊かにしていくのか…
所得や休みが増えることで、選択の幅が広がるのは間違いないが、そこは一人ひとりがどう創意工夫して生きていくのかという人生に対する考えによる。
生きることに対する熱量だけは伝えることができたのかな…。
人生に対してピュアな人を前にして、自分自身の人生の在り方を問われているような気がした。