僕が普段山を走っているときに、必ず、超望遠レンズを構えた人たちがたむろする場所がある。
以前から、イヌワシを観察している人たちだというのは聞いたことがあったのだが、いつも横をスルーしていた。
今回、また例のごとく、その横を通り抜けようと思ったのだが、なんとなく気になって、立ち止まってそこの方に話しかけてみることにした。
その男性が、イヌワシのことについて、いろいろと教えてくれた。
今、兵庫県には、2つのペアだけが確認されていて、1つのペアは、瀞川山周辺に生息していて、もう1ペアは扇ノ山に生息しているということ。
全国では500羽あまりが確認されていて、レッドブックデータに登録されていること。
イヌワシは草原環境が広がる場所があるところに主に生息しており、スキー場などもその役割を果たしているということ。
イヌワシは、生態系の頂点にいる鳥であり、イヌワシの激減は、すなわち生態系全般の崩壊によるものだということ。
イヌワシはうさぎや、山鳥などを捕獲して生きており、森の豊かさが失われることで、これら小動物の個体数も減ってしまって、その結果イヌワシも生息できなくなってきていること。
…などなど、他にもたくさんお話をさせてもらって、ずいぶんと勉強になった。
ハチ北では、イヌワシの生息域を守るための活動として、大池周辺の整備が行われているが、まったくやらないよりやったほうがましだとは思うけれど、イヌワシの生息ということを考えた場合、最近よく言われる生物多様性の保全という広大なテーマに取り組まなくてはいけない。
再生の事例としてよく豊岡のコウノトリのことが取り上げられているが、生物はそれだけではなく、目にみえない微生物とかも含めると、それはほんの一握りでしかない。
イヌワシがいなくなることで、私たちの生活がすぐにどうにかなるわけでもないだろうが、そういった目に見えない積み重ね一つ一つの崩壊の積み重ねはやがて、我々人間の生きる道を閉ざしていくのか…
と思うと、なんとも複雑な気持ちになった。
人間は、極寒地帯から、灼熱の砂漠地帯のようなところまで、かなりの広範囲で生活していて、食料や住まいの確保など、さまざまな工夫をして生きている。
だから、環境の変化があってもそれに対応できるだけのたくましさが人間にあることがかえって、環境が脆弱になって自分たちが危機に近づいていることにも気づかないのかもしれない。
こうやって、心配するほど、世の中はそんなに厳しくもないのかもしれないがそれは分からない…。
まったく話は変わるが、先日、ある大規模な米生産農家と話すことがあって、自分の周りから米が消えている…という話だった。
それは、気候変動の影響というよりも、そのほかの社会的要因のほうが大きい。
廻りで耕作を辞める人が増えてきて、収量が減ってきていること、一方でインバウンドなどで外国人が多く流入して、自分たちとは予期しないところで米が消費されていること…
などと説明をされていたが、いずれにしても、米がない…なんてことをこれまで想像などしたことはなかった。
廻りの異常なシグナルに敏感に目と耳を傾け、安心して暮らせるようにしていかないといけないと思う。