都市集中型の未来へのオルタナティブ | ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

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どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。

最近、心の中の思考に、隙間ができると、かなりの割合で頭をよぎることがある。

 

それは、このまま、世の中は、都市集中型未来へ突き進んでいくのか…ということである。

 

まもなく、1ヶ月が過ぎ去ろうとしているが、みなさんに呼びかけをして、兎塚小学校創立50周年記念式典を行った。

 

もちろんこれは、たまたま母校が、50周年という節目を迎えたから行った行事ではあるのだが、その根底には、都市集中型未来に対するアンチテーゼがある。

 

日本という国が明治以降突き進めてきたのは、中央集権的な国家の形成である。

長男は跡継ぎとして必要であろうから家を守れ、第2子以降は、都会に出て国の産業の隆盛のために働け、

極論するとそんな感じの国家形成の在り方だ。


もちろん、現在の日本が今の地位を築いてきたのには、有効な手段であったのだろうと思う。


しかし、これからの社会のありようとして、今後も同様にそうであるのは甚だ疑問でもある。

 

今も、スマートシティの議論は活発だ。

東京一局集中の是正…とは言っているものの、あまりに巨大になりすぎた東京はちょっと行きすぎじゃない?

…せめて、中堅中核の都市はいくつかは存在させておいて、そこに生活機能は集約させよう…

と言っていることは、やはり都市集中型の未来をつくることに他ならないような気がする。

 

つまりはどこまで言っても、農山漁村地域は、生活上非合理的であるから、整理したほうがいい(つまりはなくした方がいい)という議論に行きついてしまっているような気がするのだ。

 

田舎のどん詰まりにいる私からすると、本当にそれでいいのか…という思いがどうしても頭をもたげるのである。

 

ウィズコロナ時代に突入し、丸2年目が過ぎた。

ウイルスに対する警戒感が若干薄れ、人はある程度活発に往来をするようになった。そして、また都市の人の動きも活発になった。

COVID19をはじめとする未知なるウイルスとの遭遇。

これは、ある意味、都市化していく世の中が作り出したものだ。

自然界において、過度な一極集中は、危険が生じるのだ…ということを私たちは学んだはずなのだが、やはりのど元過ぎれば我を忘れ、再び都市集中へと向かっていっている。

 

私たちの地域は、但馬牛のふるさととして広く認識されるようになったが、なぜ但馬牛のふるさとになったのかというのも、都市集中のオルタナティブの結果であるということは改めて認識されるべきであろう。

 

明治期以降、畜産の品種改良の着手を目指した政府は、より大きく、力強い牛への転換を目指し、外国の牛をかけあわせることで、それを成し遂げようとした。

 

しかし、その思惑は大きく外れることとなった。

但馬牛は、他の牛に比べて大きくはないのだが、気性は穏やかで人なつっこく、また小さな割には粘り強く(つまりトルクがあるといういうことだ)特に但馬地域の急峻な山間地にある田畑を耕作するにはむしろその方が適していたが、その認識が足らなかったせいで、掛け合わせても、思ったどおりの効果を得られなかった。

 

時すでに遅し…、掛け合わせに失敗して、純潔の但馬牛が絶滅寸前まで追い込まれたが、小代熱田という山奥に、その掛け合わせを免れた牛がいることが判明し、もう一度それらの牛から、純潔の但馬牛をつくりだすことに成功したのだ。

 

それが、のちに、スーパー種牛『田尻号』をうみだすことになり、今の但馬牛のみならず、日本の和牛振興の礎になった。

 

話は変わる。

今世界は、ロシアの暴走を止められない状況にある。

 

それは、経済がグローバル化しすぎたがゆえに、人が生きる、水、食料、燃料を他国に依存するような社会になってきたことによるものだ。

 

暴走するロシアを封じ込めたいが、エネルギー自給できないヨーロッパ各国は、強硬におしすすめることができないというジレンマがある。

 

ここでも小代熱田に戻る。小代熱田は残念ながら廃村になってしまったが、なぜ純潔但馬牛が免れたのかということだ。

それは、とてつもなく山奥で隔離されたような場所だったということだ。

 

しかし、もう一つの疑問が沸き起こるだろう。

そんな山奥の暮らしで人は生きていくことができるのか…ということだ。

 

答えはこうだ。それは、山に囲まれ、人が生きるに必要な水、食料、燃料、すべてがそこでまかなうことができた。

だから、他に依存することなく、人の営みがそこでつくりあげることができたのだ。

 

だからローカルを見直し、自立ができる社会ができれば、そういった国の争いは無関係に生活がなりたっていくということなのだ。このような事実を振り返るとき、時代背景が今とまったく異なるとしても、都市から隔絶されたオルタナティブの結果であることは自明の理だ。

 

つまり、世の中は、都市化にむかっていくことは是として進んできているが、その判断は必ずしも正しくないということだ。

 

さて、日本の未来はどうなのか…先にのべたように、以前として日本は都市集中な社会へ向かっている。

都市化に向かえば向かうほど、実は脆弱な社会になっていってはしないかという疑念をどうしてもぬぐいさることはできない。

 

これまでの概念の延長では、次の新しい時代を作っていけない気がする。

 

残念ながら、私自身が出せる答えは、ここまでだ。

都市集中型のオルタナティブをつくり、モデルとして示すことができないから、説得力がないのだ。

 

思いだけでは、人を説得することができない。自分自身が範を示し、活き活きとしている姿を多くの方に広げていかなくてはいけない。