今、この地域で、小学校統合に関する話題がふつふつと湧いているのだが、私一人がワーワー言っているだけで、どうやら町民はすでにその議論すら放棄しているように感じる。
子供の数を増やすしかない
— Masaki Nishimura 西村 昌樹 (@masakinishimura) May 17, 2022
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私の弟夫婦がまさに今、乳幼児を抱えていて、今後確実に影響を受ける当事者になるので、彼らの心境を聞いてみた。
小学校統合の問題はもうすでに決着している…というのが彼らの見方である。
というのも、さかのぼること数年前、地域にそれぞれあった保育園が統合され、今は地域で一つになってしまったからだ。
当時、まさに当事者だった弟夫婦たちは、署名活動を行うなどして、地域の保育園の存続にむけてそれなりにがんばって活動をしたけれど、大した議論を深めることもなく、あっさりと町当局が統合を決めてしまったというトラウマがあるからのようだ。
すでに保育園が統合されているのに、いまさら小学校が統合をしないという流れは不自然だという意見もあるという。
確かにごもっともだ。
そして、こうも付け加えた。
親たちの中には、世間一般で言う『普通』でないことに対する劣等感の意識があるというのである。
都会に比べて人口減少の激しい田舎は、かわいそうな存在であり、だから子供たちは、せめて都会の『ような』環境に近づけることによって人並みのモノが得られる…という意識。
つまりは、田舎の人間は『負け犬』ということだ。
人が周囲に多く存在することによって経済的な活力が生み出されるというのは、一般的には正しい。
ただし、それは一人一人の幸せとイコールかというとそうではない。
喧騒から離れて、静かに暮らす時間は、何よりも得難い幸せな時間の一つである。
空気、水、食べ物…田舎ではごく当たり前にあるから、その存在が忘れがちになるが、それが普通に得られる幸せというのも忘れてはいけない。
幸い、人と人のコミュニケーションの手段は、遠隔であろうとも、その障壁はなくなってきている。
先に述べた経済的な面においても、eコマースが台頭する今では、経済的なデメリットさえなくなろうとしている。
幸せの価値が、以前のものさしではまったく通用しなくなった時代になったのである。
勝ち負けで地域を論ずることすら野暮かもしれない。
大事なことは一人一人が尊重され、今生きているという充足感をもって生きていることだ。
そのことにもっとフォーカスして、子どもたちの未来を考えようではないか