
衆議院選挙が終わった。
毎度のことながら、選挙期間はほぼ選挙事務所に入り浸り、本部と連携をとりながら、選挙活動にむけてのさまざまな準備や、調整を行い、自身も手を振り、車にも乗る。
ときどき、
『ニシムラさんは選挙がお好きなんですね』と声をかけられる。
今年は特に、町長・町議会選挙、知事選挙、そして衆議院選挙と選挙メジロ押しの一年だったので、そのたびに選挙事務所に入り浸る姿を見れば、そう思われるのも不思議ではない。
選挙に関わるようになったきっかけは、某先輩からの半ば強引な(笑)誘いによるものだ。
ある人はそんな姿を見て、政治家になったらどうだと言ってくれるのだが、私自身は、政治家になる志などみじんもなく、単にあれよあれよと選挙活動の中心に引きずり込まれたというのが本音だ。
ただ、選挙活動を通じて、選挙事務所に多くの人が訪れ、まちづくりのこと、国家のこと、政治のことをいろいろと意見交換をすることは、とても勉強になっているのは間違いない。
一度足を突っ込んだら抜けられない…
それは、選挙には多くの人の力が必要だからだ。好きとか嫌いとかそんなことではなく、誰かが支えないと選挙は戦えない。
それを他人任せにせず、自分事と感じているだけだ。
選挙活動を通じて思うのは、政治と生活は一体のものであるのだが、多くの人はまったく別物と考えており、そこに多くの誤解があるように思う。
例えば、国防の話。
私たちの生活の中に他国の侵略とか、そういうものを感じる場面はほとんどない。だから、それは国会での話であり、自分たちの話ではないと思う人はいるだろう。
だけど、漁業や水産加工業などの方と話をしていると、排他的経済水域に他国の漁船が不法に操業していていて、それが自分たちの漁業にも影響を感じているという話を聞けば、自分たちのマチの問題でもあることに気づく。
そういう自分たちの生活の延長が、国につながっているということなのだ。
自分は、もっと幸せで暮らしやすい地域になりたいと願っていて、ほとんどの人がそう願っているはずだ。その延長が、たまたま選挙の応援という形になっているだけなのだ。
私が暮らすマチは、県内でも有数の過疎地だ。
都市、過疎地、日本という国にもいろいろなグラデーションがある。
ともすれば、人が集まるところに、さまざまな資源が集中し、ひいては、意識も集中してしまいがちだ。
だけれど、日本が日本らしい所以は、そのグラデーションがあるからであり、もちろん過疎地のように、人口の密度は極端に少ないが、さまざまなベネフィット…食料、水、空気、木材…をもたらし、日本という国を構成する大事な要素なのだ。
瑞穂の国と呼ばれるように田畑がある風景は日本そのものだ。
とかく田舎は被害者意識を持ちやすい。
しかしそうではない。さまざまなグラデーションの一つの構成要素の中に私たちは生きているだけであり、それが失われたら、日本そのものが失われてしまう。
だから、国にもそういう感覚を持った人を送り届け、これからも日本らしさをずっと形づくってくれるようにしていくことが必要だ。
そのための選挙運動や、活動なのだ。そのことを多くの人にも理解していただけるよう今後もやっていきたいと思う。