『日本人』と一言で言っても、関東圏で1000万人以上住み、大阪、福岡、神戸などの大都市もあわせれば、都市に住む日本人も相当多い。
だから、日本人の思考とは言っても、都市圏在住者が考えていることが、『日本人』という思考の相当なるパーセントを占めていることを考えると、私みたいな兵庫県のもっとも過疎化の進んだところから考えることは、実はかなり特異なのだろうと思ったりする。
まして、日本の中心地である東京は都市であるわけだから、その中で生活する思考が世の中のスタンダードになっていく。
例えば、盗難にあったりすると、それは鍵をかけていなかった本人の責任だ…ということになる。
しかし、田舎にあって、なんでもかんでも鍵をがんじがらめに締めるということは、都会に比べるとずいぶんとルーズだ。
本当は、家のカギ、車のカギそれがかかっていようが、かかっていまいが、悪いのはそれをもって悪事を働いた人間だ。
しかし、都会の暮らしというのは、それでは許されない。
隙がないよう、完全にガードしていくことが求められる。
それが日本人としてのスタンダードだ。
もう今となっては昔のようなおおらかな社会になることは無理なのかもしれない。
僕は、日本人だと思っているが、もしかしたら、ほんとうの日本人にはなりきれないのかもしれない。