私は人に迷惑がかからない範囲であれば、非常識にふるまったほうがいいというのが持論だ。
よく考えてみれば、スポーツの世界で新記録を打ち立てるのも、ノーベル賞を受賞するような出来事も、あるいは世間を劇的に変えてきたスマートフォンも、すべてはこれまでの自分たちの常識の外側にあるものばかりだ。
そうやって世間の常識を打ち破った先に、私たちの生活がより豊かになった歴史があるわけだ。
それは何も特別な人たちのものではなく、凡人たる我々にもあてはまるだろう。
非常識というのは読んで字のごとく、常識ではないということだ。
しかし、一体常識というのは誰が決めるのだろう。
実は常識を決める基準など、どこにもない。自分では常識と思っていることでも相手が非常識に思うことなどごまんとある。
世間の常識という、得たいの知れない何かに我々はしばられ、身動きがとれなくなることがある。
違和感を感じることがあっても、人が直接的に被害を被らなければ、いいとしよう。
そうやって世界は、よりよき方向へと導かれる。