今週月曜日に計画されていた、地元小学校の親子スキー教室が雪不足のために中止になりました。
今年に入り、雪不足が続く中で、各地の学校のスキー教室も軒並み中止になってしまったこともあり、イヤな予感はしていました。
今年PTAの会長をしている関係もあって、先週の水曜日に協議することになりました。
『スキー場が運営できているのなら実施すべき』というのが私の持論です。
だから、どんな理由があってもやりたかった。
でも、学校の先生からは、
『もし事故がおきれば取り返しがつかないので辞めるべき』という意見。
しばらくは平行線のままでしたが、結局私は先生の意見を呑み込むことにしました。
ある親御さんからは事前に、
『もしこのままの気象条件が続く(雪は降らずに人工造雪のコースのみでしかスキー教室ができない)のであれば、子供を危険に負わせるわけにはいかないので、その日は学校を休ませます』
というお電話があったそうです。
私は反論します
『やりたい子ども、やろうとしている子ども、それに責任を負うと言っている親だってたくさんいる。そういうネガティブに足を引っ張る親の意見に引っ張られて意思決定をしなくてはならないなんて、それが社会の本当に姿には私には思えません』
先生も
『私も一人の親なら、西村さんの意見には賛同します。しかし、やはり学校でやる以上はそういうわけにはいかないのです』
学校は生徒たちの安全を最優先に考えなければならない。
その部分へ私は反論することができませんでした。
おそらく、先生の本音は私に近いものがあるように思います。のびのびと生徒が活動をできるようにしてあげたい。だがしかし…
昨今、モンスターペアレントの存在が指摘されていますが、まさに見えざるモンスターがそこにいるんですね。
だから、学校はとても苦しい立場におかれているのだろうなぁと察しました。
私は以前から、今の社会が、極度の過保護になっているのではないかという懸念をずっと持ち続けていますが、それを覆すだけの理論と胆力、行動力を持ち合わせていない自分に腹立たしさも感じます。
私は、
『かわいい子には旅をさせろ』
という言葉を信じてます。
多少のリスクはあっても、それを乗り越えるための強い意志と行動力をもってほしい
と私はそう思っています。
ただ、社会はリスクを冒すことに、ものすごくシビアになっています。
それは責任は学校が負うもので親ではないという、親の責任の放棄からきているような気もします。
昨今、先生の不祥事もあとをたたず、学校と親の信頼関係がなし崩になっているように思いますが、親が先生を信頼し、ある程度そのリスクも覚悟で先生に委ねればこんな問題は生じないように思います。
だから、結局学校の現場の判断の低下は親の責任能力の低下なのだろうと思うのです。
年々各人のリスクを負う力が低下しているようにも思います。
今後かつてないリスクが世の中を襲う可能性がある中で、私たちは果たしてその困難に立ち向かっていけるのでしょうか?