wikipedia『近代以前の日本の都市人口統計』より
先週、選挙特番があって、開票速報を見ていた時に、あるテレビ局が、開票の合間を縫って、日本の抱えている問題についての考察を行っていました。
ご存じのとおり、日本の人口はこれから減少に向かっていき、番組の中では、『2050年には、明治時代の人口まで減少する』という紹介がなされていました。
私たちの町も『消滅可能自治体』の烙印を押され、私たちは人口減少を食い止めるべく官民あげて必死になっているのですが、ステレオタイプのごとく、『問題だ、問題だ』とその本質をとらえないまま同調して声をあげていているけどどうなのだろう…
とふと疑問に思い、先のwikipediaからの資料を引っ張りだしてきて、自分なりに考察しています。
かつて、江戸時代には東京で、50万人、大阪で20万人と、いまの20分の1ぐらいの社会だったのですね。
それでも都市としての機能を保ちつつ、庶民の生活がなりたっていたということになります。
我が県庁所在地神戸にいたっては、わずか5万人です。
江戸時代を基点に考えると、今の都市は巨大になりすぎたともいえます。
翻って私たちの町ですが、過去のデータを見ると、私が住む旧村岡町のはるか昔の人口推計は調べることができませんでしたが、大正から昭和40年ごろにかけては9000人~10000人ぐらいがピークで、今は半減している状況です。
しかし、人口構成を抜きにすれば5000人の人口がいます。
失った部分を見るのではなく、今いる5000人の力が結集できているのか…。
江戸時代以前の視点で見れば、それは元に戻っただけといえます。
ある人は、江戸時代の日本こそが、もっともサスティナブルな社会だったと言う人もいるぐらいです。
里山資本をうまく活用していけば、多くない人口は、食料、エネルギーすべてを自給することも可能とも言えます。
プラスの部分にもっと目を向けていくことが今もっとも必要なこと…
といえるのではないでしょうか?