
先日、『棚田地域振興法』が可決されたとのニュースを見ました。
香美町には、小代貫田の『うへ山』と、村岡和佐父の『西ヶ岡』と、日本棚田百選が二つあります。
うへ山は、貫田のみなさんの努力で、放棄地はゼロになっていますが、残念ながら、西ヶ岡に関しては、遊休地が多く、決して棚田百選にふさわしい地域になっているはいいがたい状況です。
百選の選定地域さえもそんな状況ですから、私が住んでいるハチ北の棚田も相当遊休地、放棄地があり、もはや昔あった棚田の風景を復活することは不可能ではないか…と思えるほどです。
そんな中で可決されたこの法案によって、果たして地域の棚田保全が図られるのか…とても気になるところです。
私は代々の世襲農家ですが、ほとんど田んぼの世話をしたことがありませんでした。
父である会長は、20年ぐらい前から、会社周辺の田んぼを借り受け、建設業の傍ら、自ら田んぼをつくりはじめました。
言い訳にしかなりませんが、建設業で代表になってから、なかなか田んぼに時間を割くことができなかったため、会長が管理していた田んぼを社員を雇い、そこを田んぼにすることにしました。
しかし、やり始めてわかったことは、なかなかビジネスという観点から、この中山間地で稲作をやるのは厳しいという現実でした。
ここ村岡でも農業をやっている人が多いですが、専業農家というのは、ほとんどいません。
どこかの企業に勤めながら、その合間に田畑をやっている人がほとんどです。
土日や連休など、まとまった休みを利用して、先祖からの田んぼを維持していますが、それはあくまで主たる収入を別で確保しているからでもあります。
つまり、農業生産のコストの中に、自分自身の労働賃金というのをオンしている人は少ないということです。
農業からの収益に対して、機械の購入、維持、肥料等の資材を購入したら、ほとんどなくなっているのが現状です。
それでも、やはり自分で作る米を自分たちが食べ、親族などに分けていて、逆にそれが、農業を続けていくためのモチベ―ションともいえます。
私は、そこを一歩進め、社員を雇い、そこに賃金を支払い、農業をまさに『業』とすべく試みましたが、思ったほどの成果をあげることはできませんでした。
中山間地では、国からある程度の交付金を支給されています。
そういったものである程度、収入の足しにはなってはいますが、そこをあてにした農業など所詮続くはずもありません。
おそらく、今回の棚田地域振興法もそれに似たところはあるようには思います。
棚田には、農業生産以外にも、災害から守ったり、生物の多様性を確保したりといったさまざまな機能があるということが知られていて、それらを保全することを法律で明文化したことである程度の財政的な裏付けを担保することはできたに違いありません。
しかし、本当に、世の中にとって価値があるということなら、やはり市場原理の中で、適切な利益を確保できるような取り組みになっていかねばならないのだと思います。
本当にそのようなことが実現できるのか、まだまだ知識と経験不足の私にはわかりませんが、田舎に生きるものとして避けて通れない問題である以上、もっとしっかりと未来を見据えた取り組みにしていなかくてはいけないと思う今日この頃なのであります。