今朝のツイートでZOZOの前澤さんのツイートが目に入りました。
Yusaku Maezawa (MZ) 前澤友作@yousuck2020
ニューヨークで久しぶりにバスキアと対面。やっぱり最高。9月21日から森アーツセンターギャラリーにて開催予定の「バスキア展」向けにまもなく日本に戻ってきます。 https://t.co/wLiBoGFKo9 https://t.co/DCJzZ57BfV
2019年05月08日 06:49
このツイートをみて感じたこと。
『前澤さんの気持ちよくわかるわー』
って思いました。
パソコンや写真で見る絵画と、実物の絵画は似て非なるものだということです。当たり前のことなのだけれど、私がなぜそう思うのかという理由を話したいと思います。
以前、娘を連れて、直島に行きました。
島全体がアートにあふれている町です。
そこの目玉の一つがモネが描いた水連です。
私自身は、アートに関する感性も、知性もありません。
だけど、モネの作品並ぶ部屋に入ったときに、まさにモネ自身を見た感じがしました。
絵画って、当たり前ですけど、キャンバスの上に油絵で一つ一つぬっていく作業です。
目の前まで近づくと、重ね塗っているところに、微妙な凹凸を見えます。
もちろん、意図したものなのだろうけど、ある意味、絵の具を書き殴って一つの作品にしあげていきます。
10㎝、50㎝、100㎝、3m、5m
絵画を前にいろいろと距離を変えてみると、目に飛び込んでくる情報はさまざまです。
何より、その筆使いが、まさに今書き上げましたっていう『人』の存在を感じさせるのです。
ほとんど美術館など足を運んだこともないけど、そうやってみる絵はまさに人がつくりだしたものなんだなって…そう思いました。
私が、モネがそこにいたのではないか…そう感じたのはそのためにです。
おそらく、マエザワさんのバスキアも、そのような『感じのもの』は、PCでも十分に見ることは可能でしょう。
でも、やはり実物は違う。
そういうことだと思います。
世の中のすべてがそうなのですね。
富士山の形かっこうは、地図でも確認できるし、写真でも様々出ています。
だけれど、その空気、生えている樹々、微細な石コロ一つ一つを感じて人は富士山だと体で感じることができる。
だから、そこに行かなければ絶対にわからないことがあるのです。
情報の時代に生きているとさまざまなことを瞬時に知ることができます。ですがそれと感じるというのは全く別物なのだろう…
そんなふうに思うのです。