いよいよ本日でゴールデンウィークも最終日。
今日は、家でまったりと過ごしています。
というか、体がまったく動かず、そうするしかないというのが本音でしょうか…。
人生最大?のチャレンジ
『拝啓 加藤文太郎 兵庫県縦断176k スピードハイク(以下 カトブン)』を走り?歩き?終え、確かな充実感を感じつつ、筋肉痛や、関節などの腫れで体がまったくいうことをききません。
この大会の存在を知ったのは、2年ぐらいまえだったでしょうか…。
村岡ファームガーデンの前だったと思うのですが、『拝啓 加藤文太郎』の文字を掲げたエイドをみかけたのが最初だったと記憶しています。
数年前から、地域の山の魅力にどんどんはまり、近くの山(いずれも1000m越えです)あちこちに登るようになりました。
冒険家としては、日高が産んだ『植村直己』さんは、今でもよく知られていますが、それと同等に有名なのが、浜坂の『加藤文太郎』さんでした。
加藤文太郎のことは、実は山に登り始めてから知りました。
加藤文太郎の著書『単独行』には、彼が登った山々の記録が詳細に記されているのですが、本格的に日本アルプスを登るようになる前に、兵庫の山々もよく登っていて、私がもっとも愛すべき鉢伏山にも何度も登頂していて、そのこともこの著書には登場します。
加藤文太郎は、浜坂出身ですが、青年期、神戸にある三菱重工に勤務するようになり、山のみならず、県内あちこちの道を歩きまくっていることもこの本で登場します。
それからというもの、一機にこの人をリスペクトするようになりました。
そんな加藤文太郎の名前がついた大会を知り俄然興味がわいてきたわけです。
また、ここ数年トレイルランニングの大会にでるようになり、日本で最高峰の大会で『ウルトラトレイルマウントフジ』という100マイル(160キロ)の大会があります。
実は、この大会には、出場資格が必要で、長い距離のトレイルレースの完走をするなど、いくつかの大会で完走を経験している必要があるのですが、その大会に出てみたいという興味もわいてきているものの、実際100マイルを経験したこともないし、この大会で100マイルとはどんなことになるのかと経験したいと思うようになってきたわけです。
そして何より、兵庫県を縦断するなんて、まあこんな機会でもない限りにはできるような体験ではありません。
日本海から、瀬戸内海を有する、我が兵庫をダイナミックに感じることができる大会なんて、この大会をおいてほかにはありません。
1年前ぐらいから、この大会は自分の人生においてのマストなイベントとして、意識するようになってきました。
この大会がとてもユニークなのは、私の地元村岡でも、ダブルフルウルトラランニング(100キロ、88キロ、66キロ、44キロというカテゴリーのウルトラマラソン)という多くの方のボランティアを要する大会を行っていますが、それに比べるととっても私的というか、大会自体は非常にシンプルで、エントリーや、スタートゴールなども とっても簡素だし、そもそも公式なエイドもないし、チェックポイントも自己申告です。
また、情報の入手、エントリーはfacebookのみという、これまた今の時代ならではのやり方です。
さて、エントリーを決意してまず第一関門は申し込み。
参加者わずか70名という狭き門をくぐらなければなりません。
どれだけの人気大会なのか、想像もできなけれど、エントリーに間に合わなかった人もいたようなので、申し込み日が発表されてからは、それを逃さないよう開始日にあわせて申し込むことにしていました。
募集開始は、2月1日20時。
しかし、ちょうど、公務でフランスに行っている最中…。
フランス時間ではちょうど12時がエントリーです。
しっかりと手帳の予定に書き込み、何度も何度も確認しました。
現地12時。
きっかりに、申込をしました。
エントリー受付完了のアナウンスがあり、まずは第一関門クリアー。
次は、176キロに耐えられるからだづくり。
正直、当日まで、自分が思うような体づくりはできずに本番を迎えてしまいました。
私がこれまで経験したことがあるのは、100キロ。
しかもオーバーナイトで走ったり、歩いたという経験は一度もありません。
とにかく持久力をつけることは必要と思いながら、どんな練習をしたらいいかもわかりません。
日曜日などを利用して、ロングディスタンスにも取り組もうと思いましたが、結局本番まで20キロ以上走りこむということはできませんでした。
今となっては言い訳にしかなりませんが、ハチ北に暮らしていると、なかなか冬場に走りこむことができません。
また、日曜日など、距離や時間をとった練習をしたくとも、さまざまな行事が舞い込んだりして自分の思うような練習ができなかったまま本番を迎えてしまい、そこはかなり不安要因でした。
いよいよ当日。
今年は9日間のゴールデンウィークとも重なりました。
我が家は、民宿も経営しているので、お客様が毎日いらっしゃる中で、自分だけそこを抜け出すのはとても忍びなかったのですが、そこは家族に本当に無理をかけてしまいました。
カトブンは、スタートとゴールは別の場所。
先もかなり私的な大会ということは申しましたが、スタートで荷物を預ければゴールまで配送してくれるといったようなサービスがあるわけでもありません。
そこで、私がとった戦略は、ゴール後の宿泊先を決めて、そこに荷物を預けてしまうことでした。
しかし、176キロという距離など未経験ですから、いつ到着するのかなんてまったく想像もできません。
大会の制限時間は48時間。
3日13時がスタートで、最終制限時間は5日の13時です。
4日にゴールするかもしれないし、5日にゴールするかもしれない…。
なので、結局、神戸にあるゲストハウスを2日分(4日、5日)と予約しておき寝場所だけを一応確保しました。
ゲストハウス(つまりは相部屋の宿)なので、格安で経費を抑えることができます。荷物は事前にそこに送っておきました。
家から、スタートまでの移動手段、ゴールから自宅までの移動手段、ここも考えておかなくてはなりません。
いつもなら、妻に無理を言って送迎などもしてもらうところなのですが、民宿が忙しくまったくそんな余裕はなさそうだったので、そこは自力でなんとかするしかありませんでした。
帰りにスムーズに帰れることを考え、和田山駅に自家用車で移動し、そこから、公共交通機関を使って浜坂まで行くことを計画。
そうすれば、帰りは比較的スムーズに家までたどりつくことができます。
ブリ―フィングと呼ばれる選手会が3日の12時30分。
そこから逆算し、和田山10時40分の特急バスに乗ることにしました。
9時30分には家を出て、車で和田山まで移動し、バスが来るのを待っていました。
ところが待てども待てどもバスが来ない。
10分や15分ぐらいの遅れはある程度覚悟していたけど、それを過ぎてもバスが来ません。
考えてみれば、それも当然のこと。
ゴールデンウィーク真っ只中。
渋滞に巻き込まれ、時間をかなりロスしていたのです。
バス会社に連絡すると、1時間以上遅れているとのこと。
これではさすがに、スタート時間には間に合わない。
そう判断し、バスをキャンセルし、結局浜坂まで、自家用車で移動することに変更しました。
(実は私が乗るはずだったそのバスには5~6人、出場者の方が乗られていて、結局その方たちは、レイトスタートされたのでした)
現地に到着したのは、12時45分。
1ブリーフィングも半分程度終わった頃の到着で、いくつかは聞き逃してしまい、これがあとで、イレギュラーな出来事に遭遇するのですが、それはまた後述します。
そして記念撮影などを終えてスタート。
みなさん、やはり176キロなどというまあアブノーマルな大会に出ようとする人たちばかりですから、みんな強そうな人ばかりです。
今回、最初は意識していなかったのですが、レース状況をときどき実況でSNSあげることにしていました。
ちょうど同じタイミングで息子がスキーの合宿で長野に行くことになっていたので、活動の様子が向こうでもわかればいいなぁというくらいの軽いノリだったのですが、これが思いもよらず、私には大きな力になりました。
それも後述します。
私の最初のレースプランでは、48時間ギリギリでもいいから、完走をしようというプランにしていました。
なので、1時間に4キロずつ進む計画です。
176キロ÷4キロ=44時間。
4キロといえば、普通に歩くスピードぐらいですから、そう考えれば、実現性がある数字に思えます。
なので、あらかじめ4キロごとの通過時刻を書いたものをつくって、それとにらめっこしながらの行程計画です。
スタート直後
みんな一斉に走り始めて、あっという間に最後尾になってしまいました。
少しあせりが出たのは事実ですが、そこは自分に言い聞かせて、自分のペースを刻もうと思い、最初の4時間ぐらいは、そこは忠実に守って走らず歩いていきました。
ウルトラマラソンなどのロングディスタンスの競技は比較的年齢層の高い人が活躍しています。
これは、体力もさることながら、いかに自分の実力をわきまえて、しっかりとレースプランニングで戦うことができるかが重要だからです。
私も、村岡ダブルフルにチャレンジし始めたころ、それがよくわかっていなくて、何度も自滅した経験があります。(ちなみに私は、第4回大会ぐらいからずっと出ていて、今年もリピーター枠で早々と申し込みをゲットしました。)
100キロマラソンなどの走るスピードは普通のジョギングに比べても各段に遅いです。
だから、普段のランニングスピードを経験していると、あまりにレース展開が遅すぎて、みんながあまりに遅いので、自分が力があるのだとついつい錯覚をしてしまいます。
普段のランニングスピードだと確実に、自滅をしてしまうのです。
その教訓が最初は生きてました。
第一チェックポイントの湯村カントリー到着。
この辺りになってくると、何人かの人にようやく追いついてきました。
そう、最初から飛ばすと、絶対に自滅するんです。
あとで、それが我が身にふるかかるとは思いもよりませんでしたけど…。
湯村カントリーのエイドでは、湯村温泉足軽会のみなさんがしていただいてました。
モリタさんはじめ、見知った方がちらほらと、序盤は、同じ但馬内ということもあってコースもよく通っている道ですから、高低差や距離感もだいたい把握できています。
なので、ここまではかなり自分が思い描いたレースプランができていました。浜坂からずっと登りばかりということもあって、歩いて第一チェックポイントまで行ったのはかなり正解だったと思います。
ここらあたりから、だんだん私の勘違いが始まってきます。
湯村カントリーを超えると、我がホーム村岡です。
ダブルフルのコースでもあり、またしばらくくだりが続くこともあって、ついつい、この辺りから走り始めてしまいました。
改めていいますが、176キロです。
100キロマラソンでも、ずっと走り続けることはかなり上級者でもないと難しいのです。
これが後半、ボディーブローのように体にダメージを与えることになろうとは…
これについても後述します。
村岡トンネルにさしかかります。
ここは、当初のコース設定では、迂回をして入江ダムの方を通ることになっていたので、それに従ってコースを行きます。
しかし、村岡トンネルを超えたあと、さきほど追い抜いたと思った選手が私の前を走っています。
あれっ?
と思って聞いてみると、ブリーフィングの際に、村岡トンネルを通ってもよいということになったとのこと。
村岡トンネルの迂回ルートは、今はほとんど通行する人がおらず、けものみちしかついていない場所で、しかもかなりジュクジュクでぬかるんでいる場所なのです。
今回の装備品の中に、ナイロン袋を2枚と書いてあるのですが、それはこのジュクジュク道を足元が濡れないようにするのオーバーシューズ代わりに使用するためです。
そこを走ってしまっていて、人のあしあとがやけに少ないなぁと思っていたのですが、まさかの変更なっていたとは…。
スタート前の渋滞のハプニングは、こういったところに少し影響を及ぼしてしまいました。
18時30分 村岡ファームガーデン到着
矢田川走友会の方が運営するまったくの私的なエイドに到着です。
村岡はまさに私の庭みたいもの。
ここでも、見知った人がたくさんいて、みなさんにとても歓待していただきました。
また、ここではビールの差し入れもいただき、1杯だけ拝借。
疲れた体に、めちゃめちゃ染み渡り最高にうまかったので、全部をのみほしかったですが、レースはまだまだ全体の6分の1。
泣く泣くそこは辛抱し(笑)、その代わりに、温かいカップ麺もいただきました。
心も体も沁みて力が出てきました!
このころから、日も落ち夕暮れに向かっていきました。
過去に出た割とロングなコースも19時、20時が終了するような競技時間だったので、ここからは私にとって全くの未経験ゾーンへと突入です。
ただ、普段の練習では、ヘッドランプをともしながら、灯りのないところをよく走っていたので、暗さに対する不安とかはまったくありませんでした。
参加選手の中には、普段そんな環境で練習していないので、それが不安だという声も聴いていたので、その点では私にはアドバンテージがあったように思います。
関宮のローソンに20時50分ごろ到着。
今回のレースは6つのチェックポイントが設定されていて、そのうちの4つはコンビニを通過することになっていました。
これもこの大会のユニークな点なのですが、普段の大会ですと、チェックポイントには必ず役員が配置されていて、その方がビブなどをチェックして通過を確認するのですが、この大会は、自分で証拠になる写真を撮り、それを参加者のみで作っているfacebookのグループページに投稿することになっています。
facebookの投稿にコンビニをバックの写真が多いのはこのためでもあります。エイドもありませんから、ここでみんな自分の食べたいものを購入し、エネルギーの補給に勤めていました。
facebookのグループページでは他の選手の通過状況も随時入ってきているので、自分だけが苦しんでいるのではないことがわかることも励みになりました。
養父インター付近を22時50分頃通過。
ここから先は、灯りも少なく、時に真っ暗な中を走らなければなりません。選手の前後もまばらに空いてきているので、一人で走っているのではないかという錯覚にさえ陥いってしまいます。
加えて、真夜中。
だんだんと睡魔も襲ってきて意識もうろうとするような場面もたびたびありました。
事前に集めた情報では、大会攻略の肝の一つがどう休憩をとるかということで、夜は気温も下がってくるので、そこで休憩をとるのは、体温も奪われてしまうので、むしろその時間は走った方がいいというアドバイスもありましたが、この時間の睡魔にはもう耐えきれませんでした。
どこの場所かは暗すぎてわかりもしませんでしたが、とにかくベンチがあり、屋根がついたところ…つまりバス停の中で横になって仮眠をとることにしました。おそらく0時は回っていたと思いますが、何時頃寝たのかもあまり覚えてません…。
1時間ぐらいは休んだでしょうか?
あまりの寒さで目が覚めてしまいました。
あまりに寒く、体の震えが止まらなくなってしまったので、前にすすむため、そして体を温めることも兼ね、再び前に進みます。
そうこうしているうちに、養父市長野にある斎神社に設けていただいた私設エイドにたどりつきます。
そこでは、チキンラーメンやらみそ汁やら、温かい飲み物を用意してくれて、冷え切った体に、染み渡るようでした。
そうやってエネルギーをチャージすると、先の睡眠ともあいまって、割とよく疲れがとれたのか、休憩前にはまったく体が動かず、ひたすら歩くしかできなかった体が、また走り続けられるようになり、真夜中の暗闇をひたすら走るのでした。
養父市と朝来市の境にある八代トンネルにさしかかったのが、夜中の2時ごろ
その出口では、よくマラソンイベントでも顔なじみのカッパさん(ごめんなさい、名前を覚えてません)からプチ私設エイド、コーラをいただいて再び走り始めました。
朝来インター到着夜中2時50分ごろ
但馬内は比較的仕事などで、よく通っている道ですから、地理もだいたい理解しています。真っ暗闇の中でも自分がいまどのあたりにいるのかということは割とよくわかっていて、その点ではすごくアドバンテージがあったと思います。
生野のローソン到着 4時15分。
人生初のオーバーナイトランでした。
少しばかり眠気がありますが、不思議なもんで体が割とよく動くのは自分でも驚きでした。
生野ローソンが3つ目のチェックポイントです。
先行していた選手が生野駅の駅舎から出てきたので、聞いてみると、そこで寝れたということだったので、眠気も少しあったので、そこで再び2回目の仮眠。
最初はドアが閉まっていたのですが、5時をまわって、駅舎のドアがフルオープンになってしまいましたが、もう眠気には勝てず、これまた30分ほど仮眠をとったでしょうか。
周囲も薄明るくなり、朝がやってきました。
少し眠気もとれ、明るくなったのに伴い頭もさえてきたので、再び移動しました。
しかし、前回の睡眠とは違い、体がダンダンということを聞かなく、走ると足の裏が痛んでそれどころではなくなってきました。
両足ともに靴擦れが何カ所もおきて、歩くだけで痛みが出ます。
ここはひたすら我慢して歩き続けました。
だんだんと陽が昇り、気温も上昇してきますが、これまで90キロを踏破してきた体ではなかなか体が動きません。
それに加え、但馬を超えて、神河町まで入ってくると、さすがにアウェー。
次の地点までどれくらいあるのか、まるで見当もつかず、なかなか来ない次のチェックポイントにだんだんと精神的にも参ってきました。
気温はどんどん高くなって真夏のような暑さです。
しかも、平たんな道が帰って単調さだけをかもして、行けども行けども進んでいる気がしませんでした。
また、主催者がweb上にアップした地図を各自がダウンロードして、それをもって走るわけですが、痛恨のルートミス。
市川町あたりでは、本来は312号線からはずれたルート設定になっていたのですが、交通量の多い312号線を南下してしまいました。
ようやく次のチェックポイントに到着しました。
第4チェックポイント
ローソン福崎店についたのが、10時40分
日中の厚さがあいまって、なかなか思うようにはすすんではいかず、もうこの辺りからはまったく走る気力を失い、ひたすら歩きに徹するようになりました。
12時、13時頃になると厚さはピーク。
もう頭は朦朧としますが、加西あたりまで来ると、比較的人通りも多かったりすることで、かえってコンビニ以外で立ち寄って休む場所もなく、ここは最大に苦しかったです。
第5チェックポイント手前では、設定されたルートとまったく違くところを通ってしまい、おそらく200~300mぐらいのロスしたぐらいでだったとは思うのですが、このわずかなコースミスでも、ものすごくロスした気分になってしまいました。
第5チェックポイント ローソン小野店17時30分
145キロ地点ということもあり、残り30キロほどという意味では、全体の行程の5分の4は経過していて、ゴールへの希望が見えてきた半面、まだあと30キロもこのボロボロになった体を動かさなくてはならないのか…という点ではかなり厳しかったです。
先にも述べたように、今回、息子に自分の居場所を伝えるためにfacebookへの投稿を繰り返してきたことが、違った展開を見せるようなってきました。
『がんばれ』
この現場にはいあわせてはいませんが、多くの友人たちが、facebook越しに応援メッセージを繰り替えてくれるようになりました。
この頃になると、コメントに返信する元気すらなかったのですが、しかし、そうやって励ましてくれたことは本当に心のささえになりました。
小野、三木、そして神戸と、見知らぬ市街地をひたすら歩き続けます。
小野あたりから、同じ香美町から参加している原田さんと合流したので、一緒に行きましょうと声をかけてくれたのですが、一緒についていく元気もなくお互い離れてしまったのですが、原田さんもまた疲れはピークに達していたのでしょう…
行く先々のコンビニで遭遇して、お互い声かけあいながら、前にすすむのでした。
三木から神戸須磨へ入りました。時間は夜中だったでしょうか…。
ここからは、バイパス沿いを通るのですが、ひたすら直進する道が続く単調な道に、もうほんとにうんざりするような感じにはなっていましたが、もう気力はもうほとんどなく、ただただ足を右に左に前に送り出すことだけしか考えられませんでした。
原田さんと再び合流したのですが、もう気力は残っていなかったので、もう一度寝ようと思い、彼から離れ神社の境内にある東屋のような屋根の下で仮眠をとりました。
1時間ぐらい寝たでしょうか?
これまた、寒さで目が覚めましたが、なんとか歩く気力だけは取り戻すことができ、また前に進むことができました。
やがて、最終6カ所目のチェックポイントの高取山の登山ルートにさしかかりました。
5日午前3時頃です。
他の人からの情報で
『最後のダメ押しの登山道はかなりきついよ』とは聞いていたのですが、先に寝たのがよかったのか割と体は動きました。
動画を撮る余裕すら生まれたので、こんなレポートをしています。
なんせ、真夜中の登山です。
ほとんど変態を通り超えて変質者の域です。(ってか、この大会出ている時点で尋常ではないということは承知のことですが(笑))
第6チェックポイント高取山3時57分
登り切って、神戸市街が一望でき、そこで見えた神戸の夜景は希望の光に見えてきました。
実際あの無数の光のどこかにゴールがあります。
もう体はほとんど言うことを聞きませんが、それだけが動く原動力でした。
高取山からの下り、そして最後の長田の街。
ゴールへの希望だけが体を動かしてくれました。
そして、ついにゴール。
外がだんだんと明るくなり、夜明けを迎えてのゴールでした。
5日5時25分到着。
これが私の、カトブンの挑戦の足跡です。