私が住むあたりを『兎塚(うづか)』と呼んでいるのですが、地名ではなく地域名でして、いまや兎塚幼稚園、兎塚小学校ぐらいしか、使われていません。
村岡町が合併し、香美町となり13年。
もはや村岡という場所すらも消え去ろうとしている中で、このまま名前が消えてしまうということでいいのだろうかと、この頃思います。
兎塚村という基礎自治体として誕生したのが明治29年、それ以前のことについてわかる資料を引き出すことはできませんでしたが、1600年ごろに、山名氏が、兎塚から村岡へ拠点を移したことが記されているので、そのころには兎塚というエリアは存在していたと思われます。
となれば、400年以上、ひとつのまとまりある地域として存在していたわけですね。
さて、平成の合併が行われてから、その効果が目に見えたと言う話を聞いたことがありません。
最近では、さらに進んで『美方郡も豊岡に合併されたほうがいい』みたいな論もありますが、際限なく合併を繰り返してもきっと、その合理性をみいだすことはできないのではないかと思います。
なぜなら一人ひとりが主体的にマチを考え、行動せず他力なままだからです。
この意識の変化をがはかることがなければ、何度合併を繰り返しても、マチがよくなることは絶対にないと思います。
自分たちがどのサイズなら、自分たちが主体的なマチとして思うことができるのか…そのサイズでまちづくりを考えるべきではないかと思います。
私が、『兎塚』にこだわっているのは、一つは学校の単位がそれであり、そういう視点でマチを考えられるからです。
学校の存続という喫緊の目に見える課題があることによって、ではそれを構成するエリアはどうあるべきなのか…ということが考えやすくなることです。
一度合併した自治体を解消したという例を探してみましたが、どこにもありませんでした。
もう自治体としては、あえて小さな自治体に分解することなどできないのです。
ですが、『香美町』という広域な枠組みでは、自分事としてマチを考える人は少ないと思います。
積極的に財源をつくりだすために、では自分たちのところはさらに支払う税金あげよう…とかそうでも言い出さないかぎり、自分たちのエリアだけというのは通用しない話なのです。
私の姪がこの春、幼稚園に入学します。
クラスの人数は5名なのだそうです。
5名ならもはや、クラスとしてなりたたないではないか…という論もあることでしょう。
でも、まだ5人はいるのです。
彼らが、兎塚で学び育ち、絶対にあーもっと大きな学校で学んだ方がよかったと思わせてはいけません。
この5人でよかった、兎塚でよかった。
そう言ってもらえるために、僕らはまだまだやりつくせてません。
学校の在り方をベースにまちのありかたを考えたいと思います。