モータリゼーションと市域 | ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

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どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。

私たちが住む香美町は、3つの町が合併してできた町です。

村岡町、美方町、香住町です。

 

で、さらにさかのぼると昭和の大合併といわれるときに、兎塚村、村岡町、射添村が合併しました。

 

兎塚小学校区は、今の兎塚村であったときの名残であるわけですが、数年後に、、残すべきか残さないべきかという、小学校の統合問題が浮上します。

 

そもそもなぜ、兎塚村だったのか…ということをつらつらと考えるわけです。

 

昔この地域を治めていた山名氏が村岡を城下町にする前に、兎塚に城を構えていたということで、今でも山の中に城跡があるようですが、それが一つのエリアを形成していたということ。

 

そして、兎塚村という単位を形成していた理由は中心地、今の福岡地区に流通や、宿場があって、それから徒歩で移動できる範囲で、エリアを形成していったと思うのです。

 

昔は、移動はほとんどが徒歩によるものでした。

昭和30年代ごろから、一般家庭にも自家用車を持つようになり、そしてそこから人が移動できる範囲が急速に広がっていきました。

 

合併をしても人がそれほど生活に支障を及ぼさないのは、やはり車で移動できるからに他なりません。

 

香美町の場合、行政の中心は香住にありますが、私の家からは実に、38㎞の距離があり、これは実に大阪市の南北よりも長い距離になります。

 

今、都市部を中心に、シェアバイクのようなシステムができたりするなどして、『車』での移動を見直す動きが活発になっています。

 

ずっと拡大し続けたモータリゼーションの流れがここにきていよいよ頭うちになってきた感じです。

 

となれば、私たちの地域(市域)も、もとの歩き中心というわけにはいきませんが、モータリゼーション中心の考えからは改めていかなければいけない時代になってきているのではないか…そう考えると、果たして、このまま統合をすべきなのかというのは、私は今の時代にあってきていないのではないかと思います。

 

やはり、私たちが生活の基盤としてきた兎塚という地区は、なくすべきではないと考えるのが妥当だと思うと、学校の統合をこのまますすめるべきではないというのが私の考えです。