ハチ北スキー場がオープンして50年あまり。
私が産まれたときには、すでにここにスキー場がありました。
だから、冬になれば、お客様が来ることが当たり前の日常でした。
今は、民宿とは違うところに住んでいますが、私の実家は、鉄骨造3F建てです。
それも、特別なことではなく、私にしてみれば日常の延長でした。
ほぼ、母一人で切り盛りしていた民宿。
しかし、妻は時々加勢して民宿の切り盛りに参画していますが、自分が代わりに全てを取り仕切るとは言ってはくれませんでした。
数年前、母がだんだん年老いて、続けるのか、やめるのかの選択を迫られたとき、私の中にはやめることだけはまったく考えたことなどありませんでした。
だから、どういう形であれ続けようと思いました。
その後幸運にも、弟が東京から家族連れで戻ってくることになり、今は彼を中心に回してくれています。
もし、弟が戻ってこなかったとしても私は止めることだけは考えなかったでしょう。
私自身も、年に数十日スキーを履き、プライベートで楽しんだり、またジュニアスキーチームの指導などにあたったり、最近では、スキー連盟の理事をさせていただいています。
こうやって考えてみると、50年という時がたち、スキー場がある生活というのは、この地に文化として根付いているのだと改めて思います。
スキーを取り巻く環境は激変はしているものの、だからここからスキー場がなくなるということはどう頭をひねっても考えられません。
ただ、これまでの50年が今後も同様におこるとは、これもまた考えられません。
50年積み重ねてきたものをベースに新しい文化を創造できるようにしていかねばなりません。
50年前、ハチ北の将来を憂いた諸先輩方は、スキーのある文化というものを残したまま、多くの人が、この世から去ってしまいました。
50年後、私もこの世に生きているかわかりませんが、次代のためには今ことをなさねばなりません。
NO SKI NO LIFE
新しい文化をつくるべく、やっていかないといけません。