宗教くさい | ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

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どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。

 

祖父は僕が中学生のときに、なくなりました。
夏休みに部活から家に帰宅すると、祖父の容態が急変したと、バタバタとあわただしく、その数時間後になくなりました。
 
身内がなくなるのは、初めてのことだったので、その現実を受け入れるのに、しばらく時間がかかりました。
 
通夜、葬儀ぐらいのことは理解はできていたけれど、その後、逮夜ごとに近所の人が集まって念仏をとなえたり、49日間は、家族だけで毎日お勤めをすることはまったく理解ができませんでした。
 
そして、1周忌、3回忌、7回忌と仏事である法事ごとにいたってはわずらわしさしか感じませんでした。
 
しかし、今この年になってくると、なぜ昔の人が、そういった仏事を行っているのか、少しだけ理解できるようになってきました。
 
仏教の世界での意味づけというものはあったのでしょうが、そうやって人が集まることそのものに意味があるのだろうなぁと思うようになりました。
 
今回、叔父の50回忌、祖父の33回忌を実施しました。
叔父にいたっては、わたしの生前に亡くなっていて、仏壇の前に掲げられた遺影でしかその存在を知りません。
 
ですが、今や戸主になった私の役目だと思って、それらも勤め上げました。
 
お坊さんや親族の日程調整、墓掃除、その後の会食の段取りなどなど…
まあ煩わしいことだと思って、スルーすることもできたのでしょうが、今回はちゃんとやってみようと思いました。
 
僕の兄弟もそれぞれ妻子ができて、それぞれの時間で生活が過ぎるようになり、じっくりと話をする時間もありませんでしたが、先祖のことを偲び、お互いの近況を語らい、甥姪が無邪気に横で走り回り、楽しく過ごせました。
自分なりに心を込めて勤め上げて今思うのは、そうやって取り組んだ結果として、家族の絆、親族の絆が深まっていったように思いました。
 
あーそうか、仏事って、こうやって人が集うきっかけをつくっているんだなぁ
 
ほんとの意味は違うかもしれませんが、仏教をおこした人は、そういうことをねらっていたんだろうなぁって思います。
 
宗教くさくなる自分も決して悪くないなぁ…
最近はそんなふうに感じます。