小代の若きホープ松田くんの記事にインスパイアされて記事書きます。
このブログ記事に、もう思いっきり胸に刺さってとっても痛いです。
なぜなら、私自身、事業をなんのためにやっているのかと問われれば、
『地域のために…』
を連発しているからです。
松田くんの指摘どおり、半径50m以内の人に幸せを提供できているのか…と問われても、残念ながらちゃんと返答ができないのです。
半径50mどころか、家族すら幸せにできてないんじゃないかって…。
もう刺さりまくって死にそうです。
ただ、ふと思いました。
なぜ、私はこうやって、地域のためって大言壮語に言ってしまったのか…。
おそらく、自身がやっている事業の性質によるものなのかなぁと思います。
私の会社は、建築、土木工事業が売上の大半を占めています。
そして、その半分は公共工事です。
道路の工事を例にあげると、とてもわかりやすいのですが、私たちがお金をもらうのは、県だったり、町だったりしていますが、実際の顧客は住民の皆さんです。
もっというと、〇〇地区の〇〇番地に住むAさんであったり、〇〇番地に住むBさんであったり…
『住民』を、よくよく凝視してみると、そこには、具体的な個々のお名前が出てきます。
ですが、もちろん道路などは、工事をする地区だけのものではなく、道路のカミやシモの住民にも影響の及ぶものだし、もっといえば、そこを通過していく人は何らかの利便性を享受しているわけですから、どんどん無限に広がっていってしまうんですね。
そうなると、お客様は〇〇番地の〇〇さん、ってくくれなくなってしまうんですね。
だから、『地域』という、とっても便利なワードを使うのが手っ取り早いってことになるわけです。
ただ、そういう仕事をしていて、ちゃんと一人ひとりに向き合えているのか…
そこはしっかりとみなきゃいけません。
仕事が完成すればそれでいいのだ…ってそこしかみてなかったら、工事の途中に騒音や、粉塵や、そんなものを出しても何も気にならなくなってしまうし、また、時に全体を最適化するために、個々の何かが犠牲になることをいとわなかったりすることもあると、それはある人にとってみればとても不幸になることで、そこはしっかりとみていかないといけません。
組織が大きくなったり、事業が拡大するほど、お一人、お一人というものが見えなくなってしまうことはしっかりと戒めないといけない。
そして、仕事やプライベートばかりを優先し、多くの人がまとまってでないとできないこと、ゴミ拾いとか、草刈りとか…
そういうものに参加しなくなってしまってり、協力しなくなってしまうこともまた悪しです。
大いなる気づきをいただいた松田くんに感謝です。