昨日の続きになるのですが、マハティールさんの言葉を改めてかみしめていて、ふと気づきました。
『立ち上がれ日本人!』
という著書タイトルなわけですが、その日本を自分の地域におきかえることができるなって…。
日本においては、世の中心は、いまだ東京だと、多くの人は刷り込まれています。
もちろん、私も年に1回ぐらいは、東京に行くことがあって、そのスケールの大きさに、ときどきビビッてしまうわけですが、注目していくところは、そこではないと最近思っています。
最近、意識的に地域をさまざまな角度で探求していますが、『生きる』知恵というものが巧みにできあがっていることを改めて知りました。
今は、生きる以外の楽しみや便利さとか、そういうものを追い求め、社会が分業化し、それがすすめばすすむほど他者依存でなければ生きられなくなり、そうなると、規模の大きさの中にどんどんと吸い込まれていくようになってしまい、それが結局都市への過度の集中を産んでしまっています。
しかし、今は廃村となった場所も(たとえば先日行った和牛のふるさと熱田など)、今の状況で考えると、とんでもない山奥と思ってしまう場所も、昔の経済システムの中であれば、生命を維持するという意味ではとても合理的であることがわかります。
田畑があり、森があり、川があれば、食料、エネルギーという人間が生活するに欠くことができないものを得ることができ、むしろ、一つの集落がある程度他と離れていることで、里山資本、たとえば薪を山からとってきたり、食料をそこから得たりしても、草木の成長が生活の営みとちょうどよいスピーでであれば枯渇することなく、恩恵を享受することができます。
あまりにも当たり前すぎて、気づかないですが、実は自分たちの過去から積み上げたことはとてつもなく合理的な仕組みで動いていて、まさにそこに生きる知恵が満載です。
村岡という地域はかつては城下町でした。姫路城などの大きな天守閣をもつところから比べると、規模は小さいので、それに価値を感じる人はあまりみかけません。
規模だけをみると価値がないとなりますが、『持続可能性』という視点におきかえれば、また大きければいいという話ではなくなってきます。
規模という一つの尺度にとらわれるのではなく、いかに合理的でシステマチックなのか…そういう尺度をもつようになれば、全国のあらゆる地域が、持続可能であり、優れた価値をもつのです。
2011年のことでしたが、ブータン王国のワンチェク国王が来日したときのことを私は今でもよく覚えています。
ブータンは世界一幸せな国として有名です。
人口はわずか80万人で、福井県とおなじぐらいの人口規模です。
国王が来日されたとき、にじみでる気品というか、プライドに強烈なものを感じました。
国の人口や面積やGDPやそんな尺度ではなく、人々を幸せにするんだという気持ちでは、トランプや金正恩の比ではないなぁと今でも思います。
私たち一人一人がプライドを持って生きていることが大事な時代。
プライドをもとう。そして、気持ちをふるいたたせていきましょう!