
この4月、村岡に3つあった保育園が、ついに合併し一つになってしまいます。
今、対象となる園児は、村岡全体をあわせても、一学年に10数名ぐらいしかいないそうで、そんな人数を聞くと、もうそれは必然であろうなぁと思わざるを得ません。
となれば、10年後、小学校の統廃合も当然視野に入れなければなりません。
私は、これまで小学校の統合は反対の立場でしたし、今もその考えは基本的には変わっていません。
それは学校がなくなると、地域に対するアイデンティティが失われることをずっと目の当たりにしてきたからです。
10年前、兎塚(うづか)、村岡、射添(いそう)中学校が統合され、村岡中学校に一本化されました。
このときも、もうそれぞれ単体の中学校では人数を維持できないということが大きな前提でありました。
私は、兎塚中学校で学びましたが、今の息子たちは、新生村岡中学で学んでいます。彼らにとっては、今の中学校が存在するのが当たり前でなんの違和感もかんじていないでしょう。
だから、自分のふるさとを語るときは、『村岡』であり、『香美町』であり、そういう枠組みで物事を考えているはずです。
しかし、私たちの世代は、やはり『兎塚(うづか)』ということを意識しています。少なくとも私はそうです。
やはり学校の単位というのは、それほどに、それぞれの成長の過程の中に深く刻み込むのです。
まちづくりを考えるときに大事なのは、地域を愛する心です。ただ、先に述べたように、地域という範囲は人によっては実はまちまちで、一つの集落をさす場合もあるでしょうし、学校単位、あるいは、但馬つまり兵庫県北部をさす人もいるかもしれません。
どんな枠組みであっても、自分が生まれ育った場所に強烈な思いがない限りはそこを発展させることはできないのです。
かつて、車がなく、徒歩や馬が手段であったころは、自分が動ける範囲の世界のことしかわからなかったでしょう。
今や世界中どこにでも飛び回れる時代です。
そういう人からみると、ローカルに思いを馳せるのは時代錯誤だと思う人も多いはずです。
しかし、グローバルな社会だけを経験することによってさまざまな弊害もあることは確かです。
最近は少し聞かれなくなりましたが、スローフードという言葉がはやった時期がありましたが、かつて、ローマにマクドナルドができたことで地域の食文化が失われることに対する危機感がスローフード運動が全世界に広まったことはあまりにも有名です。
保育園の話に戻ると、合併を決断する前に、保護者の方にも意向を聞いたそうです。
しかし、子供の将来を考えると特段の反対はでなかったといいます。
先日、とある教育委員の人にお伺いすると、ある程度まとまった集団で学ばせるほうが子供の成長にとっても望ましいという研究結果が出ているという報告もあり、もうそれは必然なのだとおっしゃっておられました。
その話を聞いて、時代の流れでもう仕方のないことなのか…と思わないでもありませんが、こんな時代だからこそ、あえてそれに抗う社会が一つぐらいはあっていいのではないか…と思ったります。
それはITの出現です。
いま、世の中は働き方改革と言わない日はありません。
それによって何がおきたのかというと、在宅で勤務をすることが可能になったり、離れた場所で共同して仕事ができるような世の中に変貌したのです。
既存の学校を残したままで、ITを駆使して、集合教育を行うのです。
一人の先生が画面越しにいて、それを3つの小学生が場所が離れても同じ時間を共有することもできます。
一人一台のタブレットを支給し、30分程度の予習用ビデオを事前に確認し、全体で集まるときには、集まってでしかできないこと、例えばディスカッションなどのグループワークを行うことも可能です。
世の中が変化してきているですから、学習の方法も変えるのです。
よくよく考えてみてください。
特に中学、高校になると顕著になるのですが、先生が一方的にしゃべり、黒板に書いたことをノートに書き写すような授業ばかりだったのではないでしょうか?
そんなものこそ、今のようなITを駆使すれば、学校に来なくても画面越しに同様のことができます。
そもそも、黒板に書いたことを書き写すことが、学ぶことにはならないはずで、あらかじめつくっている資料をさっとダウンロードしたり、画面共有したりすれば、国賠に書く時間の無駄さえも省けます。
時代はめまぐるしく変わってきています。
教育のあり方も、どんどんと変わってきている。
グローバルな社会とローカルな社会が混在していくことをしっかりと認識できる人が世界に羽ばたいていける人になっていけると私は信じてます。
本当に子どもたちの未来にとって必要なこととは何なのか、もう一度そこから教育環境の在り方も考えたいものです。