ここのところ急増する民泊…。
先日、民泊セミナーなるものに行ってきました。
民泊は、空き室空き家を有効活用するという点で、政府も注目しているみたいですが、私自身は違和感を感じながら今まできました。
私は『民泊』について
『所有者が在宅されている家の一角を、来訪者のために提供し、そのお礼としての対価を受け取ること…。』
だと理解してきました。
しかしairbnbが取り扱っている民泊とよばれるものは『個人宅や投資用に所有している部屋をネットを通じて貸し出すビジネス』をさすようになっており、法整備がなされ、住宅宿泊事業法として合法なものとして取り扱われることとなります。
一方これまで、他人を建物に宿泊される個人や事業者は『旅館業法』という厳しい法律を遵守しなければなりませんでした。
旅館業法の許可を受けるためには、消防法、食品衛生法などのこれまた厳しい規定を順守するような設備用件などを整えなければなりません。
細かな規定があるにせよ、住宅にお金を収受して止まらせることができるわけですから、新しいビジネスチャンスが広がると考える人が出ていいじゃないかと思う反面、これまで旅館業法を遵守するために大きな投資をし、またそれを維持管理するために大きなリスクをとってきたみなさんにとってはなんともやるせない気持ちがしているに違いありません。
私自身も、宿泊営業のためにそれらの法令をクリアーできるように手伝ってきた立場でもあり、また現在は自らもそういった事業をしているわけですから、ちょっと理不尽さを感じないといえばうそになります。
しかし、時代の要請によって、それが必要とされる時代が来ているのであれば、私たち自身も考えを新たにし、来るべき時代に備えていかなくてはなりません。
私は、民泊にせよ、宿泊業にせよ、気持ちが大事だと考えています。
いわゆる『おもてなし』の心です。
顧客のニーズが多様化し、ホスト側との接点を極力さけるお客様もいるのも事実です。
『寝泊りできればそれでいいじゃないか』
そこにヒトが介在するのを煩わしく思う人もいます。
しかし、過去から現在に至るまでに旅行く人々が、その疲れをいやすために、『宿泊する場所』に滞在することがその原点だと考えると、私は、やはり人でしか心は癒せないのだと思っています。
単に空いている部屋に寝てもらえれば、癒されるというものではないと思うのです。
セキュリティロックを解除し、ホストと触れ合うこともなく寝ることができるところもたくさんあります。
私個人はそういうやり方がいいとは思っていませんが、部屋のカギを渡されるたとえその一瞬だけでも、会話やあいさつがあって、そこに心が通じ合うものであってほしいと私は願っています。
もし仮に人を介在せずとも泊ることが可能であったとしても、やはりそこにホストの存在『ありがとう』『ようこそ』そんな気持ちが感じられるようなしつらえが必要だと私は思っています。
走り始めた民泊新法はきっと後戻りすることはありません。
これまで愚直に宿泊業をおこなってきた人は、人でしか、なしとげられないこと
『民泊(単に部屋を提供すること)よりも断然良かった』
そう思ってもらえるような努力を積み重ねていきたいものです。