よく、『観光』という言葉は、中国の古典、易経のある一説
観国之光 利用賓于王(国の光を観る もって王に賓たるに利し[よろし])
から来ているとされているわけですが、ではその国の光とは何なんなのかというさらなる疑問にぶちあたります。
美しい自然、おいしい食べ物、歴史旧跡などなど…
京都を代表するように、上記の要素がすべてそろっているから、あれだけの人が訪れていることは明白であります。
よく『私のところには、お客様が来てもらえるようなものなど何もない…』と言って確かにそういった一般的に言われる観光要素が少ないところは一見存在しているかのように思われます。
しかし、最近どうもそれは違うのではないか…むしろ、もっとも大切なのは、どういう志を持った方がそこにいらっしゃるのか…
それが、つまるところの国の光を観るということにほかならないのではないかと思い至るわけです。
最近、工場ツーリズム、医療ツーリズム…など、さまざまな言葉の後ろに『ツーリズム』という言葉をつけて語られるようになりました。
どんな要素でもある意味観光資源になりうるということです。
工場見学も人の関心をそそるものであれば、それはツーリズムとして成立します。
例えば、製造業に従事をしておられるような方であれば、トヨタのような最先端の工場をみてみたいという欲求は少なからぬあり、もしそうでなかったとしても、車好きの人が、どんなふうにモノができあがるのかということに興味はあると言ったような具合いです。
そう考えると、どんなに田舎の地域であろうとも、そこに人が関与する以上は、すべてがそのための資源となりうるものです。
逆に言うと、どんなに風光明媚なところであっても、それを宝として認識できる人がいなければ、それは観光にはなりえないのです。
大事なのは、地域で暮らす中で、常に向上心をもって、前向きに生きていくということ。
そうすれば、そんな人が住んでいるところに、必ず人は訪れてみたくなるものなのです。
となれば、もう答えは明白。
自分たちの生きざまに誇りをもって日々暮らしていくということです。
むしろ、見ていただきたいのは自分たち一人ひとりの生きざまなのあり、そういった人の営み、つまりは人と人との交わりなのですね。