誇りをもって生きていく…マルガ英雄墓地が語っていること | ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

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どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。

2008年に、青年会議所に在籍していたおりに、近畿地区協議会の役員を拝命しました。

 

ミッションは、GTS(グローバルトレーニングスクール)の開催でした。

それまでのGTSでは、貧困地域に出向き、井戸を掘ったりするよう

青年協力隊のような活動が多かったようですが、この年は、会長である山本先輩(たねやCEO)の命で、青年会議所自体を支援し、アジアに青年会議所運動を広げようというような活動に転換した年でした。

 

そこで、選択された国が、インドネシアでした。

当時は、インドネシア国内にも10カ所ぐらいしか青年会議所がなかったこともあり、日本のメンバーと活動することで、青年会議所運動をインドネシア国内にも広げていこうということで、当時アジア太平洋地域を統括していた担当の副会長が、インドネシア人であったこともあり、彼らと協議の結果、バリ島に行くことになりました。

 

その前年は、フィリピンのスモーキーマウンテンというスラム街であったこともあり、リゾート地域に行くことにずいぶんと批判を受けたりもしました。

 

バリJCのメンバーといっしょに、当時日本JCがすすめていたOMOIYARI運動を世界に発信しようということで、地元の小学校を訪れてOMOIYARIプログラムを行ったり、ププタン広場の清掃活動などを実践しました。

 

当時のバリJCの理事長は、ングラライさんという方でした。

この方、バリ国際空港の名前も付されているングラライ将軍のお孫さんに当たる方で、彼らがどうしても私たち日本のメンバーを連れていきたいと言って、GTSプログラムに入れたのが、マルガ英雄墓地です。

wikipedia マルガ英雄墓地(カリバタ英雄墓地の中に記述あり)

 

日本が第二次世界大戦に敗れたあと、アジアでは欧米列強からの解放が各地で活発化し、インドネシアもオランダ植民地からの解放のための独立戦争が勃発します。

 

ングラライ将軍は、そのリーダーとして、戦ったわけですが、その中には、複数の日本人がいっしょに戦ったのでした。

 

マルガ英雄墓地の写真(バリチリの体験ブログより)

 

この場所が殉職した場所なのですが、1000を超える墓標の中には、日本語で書かれた日本人のお墓もあるのです。

 

 

お孫さんであるングラライは当時私たちにこう語りかけてくれました。

『私たちの国の独立のために、多くの日本人が戦ってくれました』

 

 

昨日のニュース、今日の報道でも、終戦記念日のことは大きくとりあげられ、天皇陛下のお言葉についての言及もあります。

 

今日も新聞では『深い反省』という部分だけが大きくクローズアップされています。

 

また、韓国の大統領のコメントなども多く取り上げられています。

 

あの報道をみるたびに、私は、2008年にバリ島で経験したことを思い出さずにはおれません。

 

インドネシアは親日国ですが、こういった歴史的背景があったことはほとんどとりあげられることはありません。

 

事実あのバリの人たちがもっとも大事にしている場所、日本人の墓標があり、彼らは、そのことをずっと受け継いでいるし、大事にしてくれています。

 

『戦争は決しておこしてはならない』

それは真実です。

 

しかし、報道で言われていることは、日本の過去のすべてを物語っているものではないということは知っておく必要があります。