昨日の話とは逆行する話になってしまいますが、一方で、その地域それぞれにある文化や慣習といったものが、『なぜ』そうであるのか…といったことをしっかりと伝える必要があります。
一番避けなければいけないのは、『昔からやっているから』。
昔からやってきて、それがいつの間にかその真意たるところが理解されないまま、形だけが残ってしまうと、やっている人にとってはこれほど不幸なことはありません。
時代は常に変化し、求められるものも変化していきます。
最終的に、それが目的を果たされないのであれば、やめるというのも一つの手段としてありうると思います。
また、あとで気づくこともあります。
一例を言いますと、私たちのムラには、『子ども念仏』というものがあります。
ちょうどいまそのシーズンなのですが、小学生4年生から中学3年生までの男子が、お盆までの49日間、毎日地蔵堂へ行って念仏を唱えます。
お盆になると、子どもたちは、各家々を回って縁側や、玄関越しに、念仏を唱えます。
各家からは、そのお礼としてお布施を頂戴します。
集まったお布施で、地蔵盆の時のおかしまきのお菓子の資金になります。
地蔵盆のお菓子まきでは幼児も含めたハチ北の子供たちが集まってみんなにおかしが配られます。
そのような行事を先輩の代から脈々と続けられています。
私の当時は、各学年に2~3人ぐらいは、子どもがいたので、10人ぐらいはいたと思います。
ですが、今年、私の長男が中3で、それを仕切る役になっていますが、5人しかおりません。
ですが、毎年ずっと続けられています。
先輩から伝えられたことによると、昔、この地域で疫病が流行り、男子だけがバタバタとなくなることが相次いだことがあったそうです。
昔のことですから、家を守るのは、長男の努めだったので、家族にとってはとても重大な危機です。
そこで、小学、中学が集まって、お地蔵さんにお参りするようになったことがこの念仏の起源だと聞いています。
今でこそ、疫病で、こどもがバタバタとなくなるといことはありませんが、子どもの幸せを願うという目的は今も変わらず、なので、いまでもこの行事は続けられているのだと思います。
加えて言うと、毎日、強制的に?顔をあわせるものですから、毎日、そこでいろんな遊びもしました。
昨今、近所の子供たちが遊ぶということが少なくなってきていますので、これはコミュニティを形成するという意味でも価値があることなのだろうと思います。
この行事はかつては、先輩から後輩へと伝えられ、ほとんどの企画運営を中学3年生が取り仕切って行っておりました。
今も基本的にはそれには違いないのですが、子どもの数が少なくなっていることもあって親も手助けを行うようになってきています。
おそらく、子どもがい続ける限り、この行事はこれからも続いていくと思いますし、続けていかなければなりません。
目的は『子供たちの幸せを願うため』のものである以上、それは普遍です。
形は今後少しずつ変わっていくかもしれませんが、その普遍性がある限りは、変わらず続けられるはずです。