うちの会社では、毎朝、清掃活動を行っています。
昔参加したセミナーで、ローヤル(現イエローハット)の創業者、鍵山秀三郎さんのビデオを拝聴して、職場内がきれいになるだけではなく、そこから得られるさまざまな気づきが人格の形成や、経営のヒントにつながることを学び、以来、毎日続けています。
最初は、私一人だけやっていました。
便器に素手で磨くその掃除は、周囲の目もあり、とてもつらかったです。
ですが、それは一週間ぐらいすると、周囲の目は気にならなくなってきました。
しばらくそれは一人で続きました。
といっても10年ぐらいだったでしょうか?
清掃活動をしようとは声をかけませんでした。というかかけれなかったというのが本音です。
会社のトップとして、号令で強制的にさせることができたかもしれませんが、それはできませんでした。
社員の反発を恐れていたからだと思います。まあ、そこに自分の人間的な弱さがあるのだろうと思いますがね。
どういうタイミングでなぜそうなったのかほとんど覚えていないのですが、10年ぐらい経って、ある社員も清掃活動をするようになり、彼が会社の清掃をしようよと声掛けをはじめると一揆に広がり、今現在にいたっています。
その社員の勇気はすばらしいと思います。そして、他の社員にも伝播させるリーダーシップも素晴らしいです。
もちろん、みんなとは言っても、一生懸命やる人、おざなりなりな人さまざまなです。
私自身も、さてみんなの中でどれほど、一生懸命やれているのか反省することしきりです。
最近、ある社員が言っているがこんなことを言いました。
『みんながやっているのにしらんぷりするのはどうかと思うし、それを指摘しない社員も無責任だ』
意味としてはそんなことだったろうと思います。
名前こそあげなかったものの、その言葉は、私にも当然突き刺さりました。
なぜなら、私自身は、誰が一生懸命やっていないか知っているし、それを見逃しているからです。
ですが、そのときふと思いました。
責められた社員の気持ちとはいかなるものなのかなって。
おそらく、気持ちがいいわけがありません。
いくら自分がそれにきづいていても、やはりすなおにそうだよなって思えるのかなぁって思いました。
それよりも、今参画してくれている人に、感謝しようと思いました。
感謝を感じた人は、うれしいし、もっとがんばろうって気持ちになると思います。
そういう感情は伝播するだろうし、自分もそんなところに身をおきたいって思うのではないでしょうか?
そうやって広がれば、もっと強くなれます。
強制的に参加している人は、心がそこにないから、掃除とておざなりになってしまうのではないかと思うのです。
私は、人をほめるのはかなり下手です。
いつも、できないところばかりに目がいってしまう。
ほめることは照れてしまうこともありますし。
ですが、ありがたいなーという気持ちは、もちつづけることができるような気がします。もちろん、それを外に発信しないとわからないというのはあるかもしれませんが、普段の言葉じりや、表情やそういうものに現れてくると思います。
私、他の人に『いっつも難しい顔してるね』って指摘をいただきます。
それは間違いなく難しいことしか考えてないからなのでしょう(笑)
一日前の状況に比べて、少しでも変化の兆しがあれば、それはありがたいこと。
そこをみて、自分が感じることは、今からでもしようと思えばできるし、照れることもありません。
だから、とにかく感謝して生きよう。
そうすれば、人生はきっともっとすばらしいものになる。
そんなふうに思いました。