話題の軍艦島を訪ねました。
現地の人の説明によると、上陸できるチャンスは三分の一ということですから、こんなすがすがしい天気の中でこの施設を訪れることができたことはなんともラッキーです。
明治期から第二次大戦に至るまで、日本が近代国家として、欧米列強に伍していくために、燃料資源や材料資源として石炭を掘っていた最前基地の一つが、この端島、通称軍艦島です。
ガイドさんの説明によると、ここで働いている人たちは、一般の公務員の4倍の給料をもらっていました。
そして、家電三種の神器、テレビ、冷蔵庫、洗濯機がどの家にも備わっていて、火葬場とお墓を除く娯楽を含めたすべての機能が整っていました。
写真に写っているのは、日本最古の鉄筋コンクリート造のアパートだったそうです。
そんな隆盛を誇ったこの場所も、燃料が石炭から石油へと変化し、グローバルな社会に呑み込まれていく中で、やがて、その役目を終え、今こうして廃墟となり、たまたま遺産として、後世に引き継がれることになって私たちはこうして、その歴史の足跡をたどることができます。
私は、こういう遺産をみていつも思うのは、どんなに隆盛を誇っていても、時代が求めるものに添わなければ、それはやがて、朽ちていくのだという事実です。
だから、常に変化を感じるような鋭い嗅覚をもって、変化し続けなければ、生き残っていくことはできないわけですね。
ダーウィンの進化論
『この世に生き残る生き物は、最も力の強いものか。そうではない。最も頭のいいものか。そうでもない。それは、変化に対応できる生き物だ』
ということがよく引用されますが、まさにそうなんだということをこれらの遺産は語ってくれているのだと思います。