今日は、地元では通称「山の神さん」と呼んでいる、大山祇神社の祭礼です。
ハチ北には、地区の中に太田神社と、この大山祇神社の二つがあるのですが、太田神社は9月23日の祭礼で、かなり大々的に(とはいっても地区の行事ですから、150人程度ですけど…)やっていますが、こちらのほうは、神主さんのお祓いもなく、ひっそりと祭礼が行われます。
っていうか、幟を建てるぐらいですけど…。
うちの村では隣保(隣組ってやつですね)が6つあって、この祭礼の準備片付けを6年に1回行うことになっていて、人生初の準備のお手伝いに参加してきました。
これまでは私の父母がやっていたのですが、今回そのような機会を得ました。
皆勤賞でない私がいうのはまったく説得力がないのですが、こういう行事に参加するたびに、地域での宗教行事をもっと重んじないといけないと思います。
大山祇神社のある一体は、春になるとザゼンソウ群落が咲き誇るハチ北内でも貴重な湿地帯にあります。
先輩方にお聞きすると、地区内にある太田神社よりも、この大山祇神社の方が歴史があるといいます。
農耕や山の恵みだけで生きてきた私たちの先祖にとって、雨や日照りやさまざまな要因があることは、自分たちの食料を確保できないというまさに死活問題であるわけで、今ほどに科学技術が発達していなかった昔は、まさに生きていくことは神頼みであったはずです。
そんな神をザゼンソウが群落する真ん中においているというのは単なる偶然ではないと思います。
しかし、今の現代において、「経済」がすべての世の中にあっては、神の存在はどんどんと軽んぜられています。
私自身も、実際、
「今日は仕事があって、そんなの出てらんないよ」
っていう気持ちが先にたってしまって、昨日の準備も終わったら、みなさんにごあいさつして、すぐに山を下りてしまいました。
毎年恒例で、準備したみなさんで、お酒を酌み交わしながら、少しだけ慰労をしていたそうですが、ほんとに申し訳なく思っています。
今の世の中、よく地域行事を断る理由として
「今日は仕事があるんで、出れません」
って言葉をよく使います。
神様の存在よりも、仕事の方に重きになっている象徴的な言葉です。
つまり、神をずいぶんと蔑んでしまったというわけです。
人の営みにおいて、まだまだ科学でははかることができないことがたくさんあります。
過去から脈々と受け継がれているこういった伝統文化を大事にする気持ち、みえないものに対して、リスペクトしてできる心を持ち合わせることは、すなわち、思いやりの心だったり、感謝の心だったり、人間として実はもっとも大切なことの一つです。
だから、私たちは、そんなことを軽々しく扱ってはいけないような気がします。
実は日常の「仕事」よりももっと大切なことなのかもしれません。