
世の中ずいぶんと便利になって、私のところからであれば、神戸や、大阪には、わずか2時間30分ほどで行けるようになりました。
北陸新幹線、北海道新幹線など、道路や鉄道が、高速ネットワークでつながり、最終目的地には、ずいぶんと早く着ける世の中。
であればこそ、『歩く』ということの本質をもっと突き詰めていく必要があるだろうなぁと感じる今日この頃です。
道端に咲く名もなき花々(や、実は知らないだけで名前はみんなあるんですよね)
行き交う人々、
生活のにおい、営み…。
高速道を突き抜けると、そういうものはまったく素通りしてしまいます。
県内でいうと、姫路城や、竹田城や、城崎温泉や、そういう名所に多くの人が集まっているのですが、なんとなく、みんなが行ったから、『自分も行ってきた』だけになってはいないか、そんなことを思います。
『ブームだから行く』ことは決して否定はしないけど、そこにある価値を認識するには、歴史の前後を学んだり、地域の人が何をアイデンティティとして思い、大切にしてきたのか、伝承してきたのか、そういうものをしっかりと学ぶことに価値があるんではないかと思ったりします。
いまや、インターネットでいかなる情報もつかめる時代。
しかし、『感じること』というのは、まったく別の次元で、それは、その場に行って、地域をじっくりと歩き、自分の体で感じることでしかつかめないものが多いはずです。
移動の時間が短くなったからこそ、感じる時間に多くを費やす努力が必要。
歩くというのは、『感じる』のに、最適な手段の一つですね。