今日の日経新聞の記事にあって、共鳴しました。
ボクシングの選手が、相手に対して、恐れを感じることで、慎重に攻撃ができると…。
むしろそれは、恐れではなく、畏れるということだと…。
『畏れる』というとき、だいたい神や仏に対して使うことが多いと思います。
相手に畏敬の念をもてば、自分に正直に、素直に、そして決してひるむことなく、まっすぐに対峙できる。
ああそうなんだーとなんかひらめいた気がします。
何も畏れるのは、神や仏でなくてもいい。
自分以外のすべての人、すべてのものに対して『畏れる』気持ちがあれば、概ね正しく生きることができるんじゃないか…。
そんなふうに思いました。