3年ほど前から、あることを試みています。
墓掃除です。
お盆前だからしようとかそんな定期的なことではなく、突然思い立って墓の草むしりとかやるんです。実は昨日もやりました。
変なやつと自分でも思いますが、そこに何らかの意味を持たせられるのではないかという自分の心の実験と言う表現が正しいのかもしれません。
うちのお墓は、家から歩いて50mぐらいのところにあります。
両親とは別のところに住んでいるので、仏壇は、両親の家(とっても我が家の実家は、民宿ですが…)にあります。
宗教心がないと先日のブログでも書きましたが、こういうことをやっていること自体、十分宗教的ですね。
そこに遺骨がおさまっているとはいいながら、物質的にみれば、単なる石の塊です。でも昔からそこに霊がやどっていると人は信じ、人は彼岸やお盆になると、そこに手をあわせに行きます。
ちょっと話が代わりますが、先日、名古屋に行っていたとき名古屋城に行きました。敷地の中でさつきやつつじなどの盆栽の品評会みたいなことをやってました。
おろらく、さつきやつつじなどは、街路樹などいたるところでみることができます。でも、そこに並んでいる盆栽たちは素人目にみても、なみなみならぬ愛情を注がれていることがわかります。
微に入り細に入り、ゴミをとりのぞいたり、枯れた枝や葉を取り除き、形を整え、愛情一杯に育てれれています。
何か言葉にできない特別な何かがそこにあるわけです。
もとの話に戻します。
先祖に感謝をいだきつつも、他の人に比べて特別なものがあるとは自分では思ってはいません。自分が、その行為を通じて、どういう心の変化があるのかまずはやってみようと思ってやっているにすぎないのです。
まだ、何か特別なものが心からわきあがってはきていませんが、あのときみた盆栽のように、人がそこに思いを馳せると魂がそこに宿っていくのではないかなという気づきはあったように思います。
横着で、不精な私なので、どこまで続くかわかりませんが、これからも思い立ち続けていく中で模索していきたいと思います。