池田草庵という儒学者が門下生にひらいていた塾だそうです。

前から、国道端に看板が出ていましたが、現場が近くにあったため、現場に立ち寄ったときに、ついでに寄ってみました。
以下wikipediaより
但馬国宿南村(現在の兵庫県養父市)の組頭である孫左衛門の三男として生まれたが、10歳の時、母の死により同市にある満福寺に預けられた。
天保2年(1831年)、村を訪れた儒学者・相馬九方の教えを受けた。その後、九方を追って寺を出奔。京都で九方に入門し、学問に励む。
天保14年(1843年)に、請われて郷里に戻り、弟子の教育を始めた。最初の門人には北垣国道、原六郎ら後に大成した人物がいた。弘化4年(1847年)、私塾「青谿書院」(せいけいしょいん)を開き子弟共々共同生活を行い知識と実行を兼ね備えた人間の育成を目指した。
主な門下生
森周一郎 - 私塾「味道館」設立者
河本重次郎 - 日本近代眼科の父
浜尾新 - 東大総長
北垣国道 - 京都府知事、北海道庁長官
やはり、優れた指導者があって、天下をおさめていくのでしょうね。

すいません。扉も開いてしまって中も見れてしまいました。(中には入ってませんが)
建物も相当朽ち果てていて、いまにも壊れそうでしたし、扉にもカギがかかっていなく、後世に伝えなければいけない重要なものがこれでは、先々心配です。
どうか、教育委員会の皆様、適切な管理をして、池田草庵先生の思いをなにとぞ後世に伝えてください…。