無くなる私 | どこのドイツのめーやんです

どこのドイツのめーやんです

アメリカ、台湾、コソボ、北極圏の生活を経て、2013年からドイツ在住、単身赴任中のドイツ人オットぼるおと時々2人生活満喫中。
潜在数秘術®と筆跡診断をつかっていろいろやってます。

ここんところFBやら、Twitterやら、
色んな方のブログ、そして自分の今までのブログの記事を
読んで、「アハ体験」オンパレードなんです。

自分の過去記事って不思議なもので
自分が書いたように思えない・・。
だから「えぇこと書いてるやん」と思いながら
「あ、これ私書いてたんやっけ?」って感覚。
おもしろいです。

ま、それはおいといて、
その感覚をコトバにできて
とりあえずまとめられそうなものを
アウトプットとしてここに残そうかとおもいます。

ーー
FBでこの著書の感想をかいてらっしゃった知人の
コメントを読んで・・(;・∀・)ハッ?としたこと。

調和すること、偏りを無くすこと、バランスを取ること
流れに身を任せること・・
これ、私にとって、無意識に避けてたこと、
一番「恐怖」だったことかもしれないって・・。

つまり、調和して、偏りをなくして、
バランスが取れるようになってしまうと
「私」というものが無くなってしまう・・

その恐怖を避けたいがために
無意識的に調和をさけ(目立とうとし)、
精神的に偏りを求め
バランスをとれないようにしていた。

不安定って気持ち悪い、不均衡って気持ち悪い
でもなんでその状態になることばかりなんだろう・・
安定、安心、バランスってことがどーも引っかかる・・
かといって、逆の不安定、不均衡、不安も気持ち悪い
なんだろーなーとおもってたときに、その感想を読んだんです。

その方が書かれてた
「私を溶かし、何にでも同化して楽しめればあらゆるものにつながれる」
という文章の「同化」に「私」の何かが大反応でソワソワ。

「同化」って無くなるやん
「0」ってどうなん?無くなったらいややん!!

で、シャボン玉がはじけたみたいに、(;・∀・)ハッ?となりました。

自然の流れに同調することが、一番自然であり
目立たないように感じるのは「私」だけであって
周囲からみればその中にある「私」が一番個性的に見える。

私は我が強く、自分が、自分がっていうところが多分にあります。
会社員時代には、自分をアピールしすぎて自爆して疲れきって
周囲からはそんなに頑張らなくてもいいのに、
そんなに力まなくても・・と言われたことも・・。

そうすることで「自分がここにいる」って存在を
証明しようとしてました。

でも、目立とうとして行動することって
どこかしら不自然だから、逆に周囲からは
ちょっと避けられるというか、近寄りがたい印象を
与えることが多かった。

今回、この感想をよんで、
自然の流れに身を任せること・・
同調すること、調和することは
目立たなくなるというどころか
その人の存在感を増すということ。
そしてそれはとても自然なことであり
人々を共振させること。
また、その人の役割を最大限発揮していること。

そんなことがストンとはいってきました。

個性って・・
すでに生まれた時点で
その人は唯一無二の存在
オリジナルです。

だからわざわざ個性的になろうとしなくても
オリジナリティを発揮しなくても
何をどう行動しても、どう発言しても
100%オリジナルなわけです(^^)

それを意識的にみせなければーとがんばってしまうから
不自然になる。。

個性は創りだすものでも
発揮するものではなく、
すでに在るものです。

そして個性は固定しているものでなく
瞬間瞬間変化するもの。

そう考えたら
自然の移り変わりのように
個性という私の変化を楽しむことが
調和なのかなとおもいました。

私があろうがなかろうが
どーでもいーやーって感じの
ゆるゆるな気分です。

さぁ、今日から仕事も再スタート。
がんばろっと!