忘れない | チビといっしょ生活

チビといっしょ生活

妄想癖あり42歳主婦が垂れ流す育児の記録。極めて低めのクオリティでお送りしてます。

3月11日。


あの日。

たまたま郵便局に用事があり、珍しく午後の公園で過ごしてました。

誰もいない大きなグラウンドがある公園でチビと二人きり。


遊具から降りたチビに、そろそろ帰ろうよ、と声をかけた時でした。

グワリと足もとが揺らぎ、地震だ!と確信したときには、

立ってられないどころか座ってもいられない程の大きな横揺れに。


とっさに安全なところへ・・・と、グラウンドの中心部分へ、

チビを左手で抱きしめながら、ほぼ四つんばいに近い状態で移動しました。


まだ?まだ終わんないの!?

もう終わる、きっと終わる!・・・


そう心の中で願うも、さらに強く激しく大きく揺れる地面。

そして目の前で鈍い音を立てて走る地面の深く長い亀裂。

初めて目の当たりにした地割れでした。


地割れ!?怖い!ヤバい!離れなきゃっ・・・


何とか立ち上がり、激しい揺れに足下をとられながらも、

必死にアスファルトのある公園の入り口へ移動しました。

それでも尚おさまらない激しい揺れ。

道路を挟んだ向こうにある住宅は、まるでオモチャの家のように揺さぶられ、

公園の街灯は、ビニールで出来てるかのように大きく弧を描きました。

目の前の会社から飛び出してきた二人の女子社員が悲鳴を上げながら、

駐車場の真ん中に座り込み泣き叫んでました。


揺れはおさまるどころか、寄せては返す波のように弱く強くを繰り返します。

まるで永遠かとも思われるほどの時間でした。


最悪のシナリオがよぎります。

正直、チビを抱きしめながら、もう駄目かもしれない・・・とも思いました。



揺れが弱まると近所の家の方々が次々と公園に現れました。

「大丈夫だった?」「怖かったね!」「怪我はない?」

お互いがお互いを気遣いあいます。

たったこれだけの声の掛け合いだけど、気持ちは少し落ち着きを取り戻しました。

そして同時に覚悟もしました。

とにかく、恐ろしいことが起きてしまったんだ、と。



程なく揺れが落ち着いてきた頃を見計らい、自宅を目指しました。
チビを抱いて歩いてる途中、何度も来る大きな余震に足止めを食らいました。


あちこち隆起するアスファルト、割れて散乱する屋根瓦、倒れたブロック塀…

自分の人生でまさかこんな現実離れしたような光景を目の当たりにするとは、

想像だにしていませんでした。


これは本当に現実なのか。

ボンヤリと心のどこかで、夢であったらいいのに・・・と何度も思いました。


自宅に戻ると、サイドブレーキを引いていたはずの車が、

50センチ程移動してました。揺れの大きさが伺えます。

玄関の鉢は倒れ、傘立てが倒れ、

下駄箱の上に置いてた物が床に散乱していました。

室内ではカウンター上の水槽が20センチ程移動して床は水浸しになり、

TVがキャスター付きの台ごと1m程移動してました。

キッチンでは600リッター弱の冷蔵庫がありえない位置に移動し、

洗面台の収納扉からはいろんな物が飛び出して散乱してました。

幸い、倒れた物は2階の本棚くらいですみましたが、

散乱した本で足の踏み場は皆無。

ただ、割れた物が床に散乱することはありませんでした。

家の中が散らかったくらいで、損害物は一切なし。

本当に、本当に恵まれました。



一安心も束の間、大きな余震は続きます。

向かいの設備会社の社員さん達が私達に気づき、

建物の側は危ないからと、敷地内の駐車場で一緒にいるように誘ってくれました。


正直、かなり心強かったのを覚えてます。

「子供を守らなくては」という動物的な本能を支えにしたとしても、

子供の手前、「怖い」という言葉を飲み込むだけで精一杯でした。

誰かがいるということ、自分以外の大人がいるということが、

精神的にかなりの支えになったのです。


車から流れるラジオ放送で、徐々に情報を得るにつれ、

得も言われぬ不安と恐怖が沸き上がります。

それでもまだ、どこかで、受け入れきれない自分がいました。


日も暮れてきて、不安もいっそう募ります。

天候は荒れ、雪が散らついてきました。

とにかく頻繁に起きる大きな余震が怖かったし、

ライフラインが全滅してたため、自宅敷地内の車の中で、

チビと二人で旦那が帰ってくるのを心待ちに過ごしてました。


この時点で、初めて今回の地震による津波被害を目の当たりにしました。

ワンセグから流れる、地獄のような映像に言葉を失いました。

今、すぐ側で何が起き続けているのか、を理解するので精一杯でした。

見慣れた町が、何度も足を運んだ場所が、

押し寄せる津波に一瞬にして飲み込まれていく様を移すディスプレイを、

ただただ、歯を食いしばりながら眺めるしかありませんでした。


夜8時頃、旦那も無事に帰宅して、初めてホッとしたのを覚えてます。


その後、水道は2日後に復旧し、電気は5日後に復旧しました。

近所の人と公園に水を汲みに行ったり、給水場所へ水を貰いに行ったりと、

その間、いろいろなサバイバルもありましたが、家も、想い出の品も、

何よりも大切な家族を誰一人と失うこともなかったのです。

全てを失い、あまつさえ命をも失ってしまった人達を想うと、

大変だったと嘆くには、あまりにもおこがましいのではないか、と。



ただ、正直、震災時の記憶がボンヤリしてます。

チビを抱きしめながらあの恐ろしい程の揺れをやり過ごしていたとき、

その時チビが泣いていたのか、私は泣いていたのか、

チビに何か声をかけていたのか、誰かに助けを求めて叫んでいたのか、

まるで覚えていないんです。

周りの景色や音の記憶も断片的に抜けています。

いや、断片的に目に焼き付いている、といった方が正しいかも知れません。

今思うと、それだけ恐ろしい体験だったんだろうな、と。


あれから1ヶ月以上が過ぎました。

チビは今でも突然話し出します。


「2丁目公園いたの~、いっぱい揺れて~止まって~また揺れて~・・・」



そしてTVが映し出す、被災した地域の映像を見て言います。


「グチャグチャなの!なおせるの!もういっかいなおせるの!」



うん、なおすよ、なおせるよ。

みんなでなおすんだよ、とチビに答えながら、

それが言霊となるよう祈り、信じ、復興を願う毎日です。



育児ブログ(自称)と称する「チビいつ」を楽しみにしてくれる人達のことを考えると、

いつも通りの記事をUPすべきなんじゃ・・・とも思ったんですが、

mixiは読める人が限られるし、twitterで呟くには文字数多すぎだし、

他にブログやってないんで、この記事も「チビいつ」の一部として、

思い切ってUPすることにしました。



さぁ、みなさん。

自粛自粛と自粛しすぎず、被災した地域を想い、復興を願いながら、

お花見といきましょうよ。


年に一度、せっかく美しく咲く、日本で自慢の桜ですから。