最近ちょっと考えるんです。
「ライン引き」の難しさの事。
この前、外出先から帰ってきて車から荷物を下ろし、
チビをチャイルドシートから下ろそうとしたんですよ。
で、ここで軽く抵抗されまして。
チビは私の手を振り払い、顔を背け、降りない意思をアピール。
困る。
気持ちは解るが、こっちも大人の事情があるわけで、
どうしてもチビに付き合いきれない場合もあるわけ。
ああ、また始まるのか、グズリとの戦いが…(ゴクリ)
と、心の中でため息つきながら、自宅へ強制送還を試みた訳なんですが、
もうね、荒れた。
案の定、すさまじい荒っぷり。
チビはギャンギャンギャンギャン怒りにまかせて泣き喚きながら、
私が無理やり脱がせた靴を投げつけ、その辺にあるオモチャにまで八つ当たり。
警告1回目として「やめなさい」の言葉と共にチビの手をひっぱたく。
チビの顔色に反省の色、見られず。
むしろ応戦しそうな勢いで、まだ荷物の入ってるエコバックをぶん回す。
警告2回目として「やめなさい」の言葉と共にチビの手をひっぱたく。
顔色に反省の色、見(以下略)
今度は私のカバンを放り投げ、自分の靴をキッチンのシンクへスローイン。
警告3回目として「やめなさい」の声と共にチビの手を(以下略)
溢れてくる怒りエネルギーを何とか押えこみ、
チビの手によってシンクに放り込まれた靴を、
「いらないんだったら捨てるし!」のセリフと同時に、
ユトさんゴミ箱へ力任せにオーバースローで叩き入れた。
それを目の当たりにしたチビ、涙と鼻水でグチャグチャのまま、
怒りにまかせキッチンのゴミ箱を張り倒す。刹那。
プチッ…(小さなオジイサンがユトさんの脳内で何かしらのスイッチオン)
「いい加減にしなさいっつってんでしょーがっ!!!!」
とドスを効かせ叫ぶと同時にユトさん、とうとうチビの頭を引っぱたいてました。
そばにあった十勝バターレーズンスティックで。
パス○さんゴメンナサイ(そこじゃない)
もうね、衝動を抑えられませんでした。
私のわずかな理性、柔らかいパンを掴む事で精一杯だった。
引っぱたくのを抑えるまでに至らなかった。
母親経験値の不足ゆえに、ですかね?
それとも性格的な未熟さゆえに、ですかね?
極力叩かないように、と、今まで心がけてたんですがね、
どうにもこうにも抑え切れなかったんですよ。
自分、ガッデム。
私に初めて叩かれた(パンでだけど)チビがハッとしました。(ように見えた)
そしてそれを見た瞬間、私もハッとしました。
あーあー。
大人げないよなー私。
こんな1歳児相手にムキになってさ。
オマケに卑怯だよなー私。
子供は親しか拠り所ないのを知ってるはずなのにさ。
グルグル頭の中で思いを巡らせてる間、
二人の間に何だか気まずい空気がしばらく漂ってたんですが、
最終的にチビが遠慮がちにジリジリと距離を縮めながら、
私に抱っこを要求してきたので、
気持ちを切り替えて仲直りしたんですけどね。
何この嫌なモヤモヤ。
「今回は仕方なかった」という思いと、
「もう終わったこと」という思いと、
「こんなこともあるさ」という思いと、
「叩いてゴメン」という思いが複雑に絡み合った嫌なモヤモヤ。
ああ、「罪悪感」が7割を占める「後悔」。
私の考えなんですが、言葉が通じない小さいうちは、
ある程度…節度のある範囲で叩くことも必要だ、と考えてます。
ただし、最後の切り札として、です。
念を押しますが、あくまで私の考え方です。
なので、何があっても子供は叩いちゃダメ!という考えの人からすれば、
今回の件は「虐待」のククリになるのかもしれないですね。(パンだけど)
ライン引きがね、難しいな、って思うんですよ。いろんな面で。
「叱る」と「怒る」のラインとか、「虐待」と「しつけ」のラインとか。
たまにチャイルドシートに乗りたがらなかったりした時なんて、
私は万が一の事故が怖いので何が何でもチャイルドシートに乗せるんですが、
こんなに嫌がって泣いてるのに無理矢理乗せるなんて、
もしかして可哀相なのかもね、なんて考えてしまうと、
見る人が見ればこれも虐待ってとらえられちゃったりするのかな…なんて脳裏を掠める。
さっきの「切り札」だってしかり。
ホントに切り札だった?
まだ手持ちのカード、あったんじゃないの?
って、未だに自問自答する自分も居たりする。
自分はこうして育てていこう、人としてこれだけは教えよう、と、
胸の奥に1本の筋があるけれど、たまにね、グラつくんですよ。
大きくグラついたりするんですよ。私、もしかして間違えてる?って。
ま、そもそも育児に間違いとか正解とか見出すこと自体、
簡単な話じゃないのかもしれないんだけどもね。
人一人まっとうに育つようにサポートしていくって、
人生始まって以来の難しいミッションなんじゃ…(ごくり)
なんて思ったりする今日この頃。
日々、精進だなぁ…(苦笑い)