メキシコ紀行もようやく3日目。
そろそろ記憶があやふやになってきているので、早いとこ完結しなきゃね。
3日目はメキシコシティー市内の遺跡を巡りました。
8月13日の記事でメキシコシティーがどうやって造られたかを書きました。
1521年の今日、アステカ文明の湖上の都「テノチティトラン」がスペイン人の「エルナン・コルテス」によって陥落した日なんだそうですよ。
1325年、アステカ人は神の信託により、「蛇を咥えた鷲がサボテンにとまっている地」である沼地の島に「テノチティトラン」を建設しました。
その後のアステカ帝国の発展により 「テノチティトラン」 は世界でも有数の大きな町として栄えました。
1519年、「エルナン・コルテス」が訪れたとき、アステカ人たちは神の再来と信じてしまい、「テノチティトラン」は容易に征服されてしまったそうです。
街は完全に破壊され。その上に築かれたのが現在の「メキシコ・シティ」。近年、街の地下から神殿の跡が掘り出されることもあったようですが、市街地ゆえにそれ以上の発掘作業は困難なんだそうです。
街の中心部の広場に、メキシコの起源を象徴する銅像がありました。
蛇を咥えた鷲がサボテンにとまっています。
メキシコの国旗の真ん中に描かれているのがこの図なんですよ。
この鷲がいなかったらイタリアの国旗になってしまいますからね。
メキシコのほうが緑と赤が濃いそうです。縦:横比はメキシコ4:7、イタリア2:3
さて、先ほど引用した記事に、アステカ時代の都『テノチティトラン』が地下から掘り出されたと書いていますが、その中心にあった神殿『テンプロ・マヨール』の姿を見ることができました。
500メートル四方の敷地内には石で造られた神殿の名残があちらこちらに見られます。
ビルが並ぶ街の真ん中にあります。
神殿跡の前には蛇の頭部の石像
頭以外は復元されたようです。
いまなお発掘と復元作業が続けられています。
地下に埋もれた歴史が息を吹き返している最中なんですね。さらなる新発見があるかもしれないです。
隣接して博物館があります。発掘された貴重な遺物がたくさんあるんです。
数年前に発掘された『トラルテクトリの石板』
縦4m横3.5mの巨大な石板。
トラルテクトリはアステカ文明における生と死のサイクルの象徴で、自分の血を飲みながら、しゃがんだ姿勢で出産しているそうで、なんともグロい女神です。
アステカでは生贄の儀式が頻繁に行われていて、生きたまま石器のナイフで心臓を取り出し神に捧げていたそうです。
この石像が抱えた器の上に心臓が載せられたらしいです。
とぼけた顔でダンベルの重りを乗せて腹筋しているように見えますね。
「チャックモール」と呼ばれていて、アステカ文明の様々な遺跡で見つかっているようです。テンプロ・マヨール以外の各地でも多くの生贄が命を落としていたということ。
恐ろしや・・・。
想像するだけでも身の毛がよだつ儀式を行っていたアステカの人たち。
その都を地下深くに埋めてしまったスペイン人。
建造物と一緒に儀式の名残をも消し去って、新たな街を造ろうという考えがあったのかもしれないですね。
メキシコシティーの真下にはまだ多くの謎が眠っているようです