(138)憧れの花眼
写真のジャンルで人気なのが風景写真ですが、最近ではスマホのポートレートモードを使っての人物写真ジャンルも人気です。
少しだけ写真撮影の世界を覗きます。
女性のポートレートを撮るときに、より綺麗に見えるテクニックがあります。
女性の姿をやわらかく表現するには、ソフトフィルターを付けて描写を柔らかくしながら、背景を少しぼやかして撮るのがこつです。
ふんわりとやさしい雰囲気で撮ることができます。
春雨にそぼつ花 【背景をぼやかして撮影】
中国語で「花眼(フゥア イェン)」という言葉を教えていただいたことがありましたが、「花がよく見える眼」という意味で、細部をじっと見るのではなく、花の全体を味わう、それが花眼(かがん)だそうです。
一方で、中国では昔から「老眼」のことを「花眼」とも表現します。
老眼になるとフォーカスがぼけてくるので、女性も花も より美しく見えるようになるからだそうですが、転じて、老眼になるとは「花の美しさ、やさしさが分かる年齢に達した」ことを意味しているようです。
ソフトフィルターを通して撮った女性のポートレート写真は、柔らかな雰囲気で綺麗だなぁ、と感じます。
でも、本来の美しさや優しさが分かるためには、心のフィルターをもっと磨かねばならないことを「花眼」は伝えているようです。
経験を積み「歳とともに美しさを重ねること」…大切にしたいです。
桜のもとで ホオジロ 【全体をソフトにして撮影】
散るという 飛翔のかたち 花びらは
ふと微笑んで 枝を離れる
俵万智
(サラダ記念日より)
(意訳)
桜は花の盛りを過ぎて、はらはらと花を散らしています。一枚一枚の花びらは、枝を離れる瞬間でさえ、命の美しさを見せて散っていきます。散ることは「美」の飛翔なのです。
充実した時間を過ごした後に訪れる満ち足りた微笑みを見せながら、桜が時を知って飛び立っていきます。花が散った後は、実がなり、種ができ、そして次の年も花を咲かせます。儚さのなかに次への希望を包んでいる桜の姿に人々は想いを託します。
雨に舞う花びら
歳とともに重ねるものには、経験だけでなく「思い出」もあります。
作家の佐藤愛子さんは、「意義ある人生とは何か」という話題で、「どれだけたくさんのいい思い出があるかでしょう」、と語っておられます。
社会人としてだけでなく、自分自身にとっての「人生の意義」になると、仕事や業績などの部分は小さくなり、家族や親しい人との出来事がクローズアップされてきます。誰それと語り明かしたときのこととか、あのときに皆で集まり笑い合ったこと、といったことがとても大切な宝物なのだと気づかされます。
佐藤愛子さんが語られた「意義ある人生とは、いい思い出の積み重ね」・・・親しみのある味わい深い言葉です。
穏やかに重なる山々の夕暮れ
この佐藤愛子さんが、9年前に執筆されたエッセイに「「九十歳。何がめでたい」があります。生きづらい世の中に悩むすべての人に向けて書かれた、現代社会を“一笑両断”する笑いと共感の痛快エッセイです。
次はその中の一文です。
『佐藤さん、お幾つになられました?』と訊かれて答えよう
とすると、『えーと、90歳と5ヶ月…?いや6ヶ月かしら・・・
つまり、11月生まれだから、11、12、1、2、3…ところで今は
何月?』と、ボケかけている脳ミソを絞らなければならない。
これからお嫁に行くとか、子供を産む人には年は大切かも
しれないが、今となっては91でも2でも3でもどうだっていい
よ!と、妙なところでヤケクソ気味になるのである。
~以下略~
佐藤愛子さんのエッセイを読んでいると、いつまでも「笑いの気持ち」を持ち続けることの大事さに気づかされます。
夕暮れの輝き
古来から、歳をとるのは嫌なこととされていますが、でも人は必ず歳をとります。それならば、これからどう楽しめばいいのか・・・
弥次さん喜多さんコンビのコミカルなやりとりで、江戸時代最大のベストセラーともいわれる「東海道中膝栗毛」を書きあげた十返舎一九は、ひたすら人を笑わせることに努力しましたが、自身の後半生も、ユーモアと笑いを演出し続けました。
この世をば どりゃ おいとまに せん香の
煙とともに 灰 左様なら
(現代文にすると)
ぼちぼちこの世をお暇しますね。
線香の煙とともに、ハイ! サヨウナラ
十返舎一九の辞世です。この洒脱さに憧れます。
我が家の桃 「宝塚小町」