(137)春風に吹かれて

 

 

 

春風に吹かれて咲くハクサンハタザオ  神戸六甲山にて

 

 

 

まばゆい光がさし込む中で、冬の寒さを乗り越えた花たちが嬉しそうに萌え出しています。

 

 

 おらが世や そこらの草も 餅になる

      小林一茶

 

(意訳)

春ともなれば、そこらのヨモギを摘んで、草餅にして食べよう。

ありがたい世になったものだなぁ。

 

草餅はヨモギ餅とも呼ばれ、春になると美味しく食べられます。

コーヒー党の私でも大好物の和菓子です。

気象庁によるとは、三月は春が始まる月だそうです。

「春暖」、「うららか」、「かすみ」、「かげろう」など、春ののどかさを感じさせてくれる弥生三月。

 

でも、北半球では冬の北風と春の南風が激しくぶつかり合う三月は、昔から「あらしの月」とされてきました。

 

英語では三月をマーチ(March)と呼びますが、これは古いローマの暦でこの月を、戦いとあらしの神マルスの月と呼んでいたためだそうです。その姿は最も強い風に牽かれて疾駆する車で槍を掲げている猛々しい姿です。

 

三月は現代でも “March comes in like a lion”と呼ばれています。

まさに三月は嵐(ライオン)とともにやってくる季節です。
 

 

 雪解けの激流  兵庫 赤西渓谷にて

 

 

日本では、「春疾風(はるはやて)」や、「三月の木の股裂け」などと呼ばれ、三月の低気圧は木の股が裂けるほどの風をもたらします。

また、日本海低気圧に吹き込む なまあたたかい南風が雪崩をおこしたり、南風と北風が急に交代する時に突風が吹いたりします。

他に、春雷、たつまき、砂あらし、雹、豪雨など、台風をのぞくすべての嵐が集中する季節でもあります。


この嵐とともにやってきた三月も下旬ともなると、 “March goes out like a lamb.(子羊のように穏やかな天気で終わる) ”と云われ、まさに「春爛漫」を迎えます。

 

 

 

 もう春満開  明石海峡公園にて

 

 

 

  春風に 吹き出し笑う 花もがな

      松尾芭蕉

 

春のお彼岸を迎えると、吹く風も「春風(はるかぜ)」と呼ばれ、鳥たちのさえずりを誘い、花がほころびます。

 

「ほころぶ」は春風に乗ってやってくる春の笑顔、、、

かたく結ばれていたつぼみがほどけて、花びらがチョコっと顔を覗かせると、見る人々の顔も思わずほころびます。

 

 

 

 思わず顔がほころぶメジロの花見 (河津桜)  明石海峡公園にて

 

 

 

ときとして、春風は人の胸にさざ波を立てます。


  春風の 花を散らすと 見る夢は

   覚めても胸の さわぐなりけり

     西行法師

 

(意訳:)

春風が花を散らしている夢は、目覚めた後まで胸のときめきがやむことなく続いています。

 

この歌は、桜の歌人とも称される西行(俗名:佐藤 義清)が23歳で突然出家したときに詠んだ歌です。

 

恋い慕う待賢門院璋子(たいけんもんいん たまこ)との逢瀬が叶った夢を見て、胸を高鳴らせる西行。待賢門院は、西行が出家を決意する原因となった失恋の相手です。それだけに、この歌からは切ない恋心が伝わってきます。

 

想い叶わぬ恋とはいえ、西行は待賢門院が亡くなるまで慕い続けけました。出家後も、待賢門院の居る京の都から離れられず、京に近い畿内の山中で草庵をあみ、叶わぬ恋の寂しさ、哀しさを歌にして詠みました。

 

  嘆けとて 月やはものを 思はする
    かこち顔なる わが涙かな

        西行法師

        (百人一首 86)

(意訳)

さあ嘆けと月が私に物思いをさせるのでしょうか。いえ、そうではないのです。恋の悩みだというのに、月のせいだとばかりに流れる私の涙なのです。

 

 

 

西行にとって想い深い「桜」、、、

春が来るたび、桜の花が咲くたびに、遠い昔をなつかしみ、はらはらと舞いちる桜を見るにつけ、あの人はどうしているだろうと想いをよせる。桜の花は、想いを咲かせる花なのかも知れません。

 

 

 

  川風に吹かれて  西宮夙川にて(2023年撮影)

 

 

 

   願わくは 花のしたにて 春死なん 

     そのきさらぎの 望月の頃

       西行法師

 

(意訳)

できるものなら春に桜の花の下で、人生の幕を閉じたい。そしてできれば、二月のお釈迦様が亡くなった、あの満月のころに。

 

西行は待賢門院を桜に見立てて、せめて最期は愛する人とともにあの世に旅立ちたいと願ったのかもしれません。

生涯、待賢門院を慕い続けた西行の一途な愛が伝わってきます。

西行が待賢門院を想いながら京都西山の麓に手植えした桜はいつしか人々から、親しみを込めて「西行桜」と呼ばれました。


 

 風誘う  奈良 吉野山にて(2023年撮影)

 

 

 

平安の世、嵯峨天皇が一本の桜(※)のあまりの美しさに心を奪われたことから、花といえば「梅」が「桜」に替わったようです。以来、

桜を愛でる文化は今に継がれています。出会いと別れの春に美しく咲く桜は、春風に吹かれて散る姿も心に寄り添ってくれます。

(※)京都清水にある地主神社に咲く桜「地主桜」

 

 

染井吉野   西宮夙川にて 

(2023年撮影)