(128)色どりの月

 

 

朝夕になると、涼やかな風が秋の訪れを告げるかのように木の葉を揺らしています。

陽が落ちると心地よい夜風に乗って聴こえてくる虫の声、ゆったり流れる秋の夜長。 九月の和風月名は「長月(ながつき)」です。

窓を開け、お気に入りの珈琲と一緒に月を愛でるひとときは、大切にしたい大人の夜ふかしです。

 

 

  いま来むと いひしばかりに 長月の

    有明の月を 待ちいでつるかな

       素性法師

       (小倉百人一首)

 

『すぐに逢いに参ります』とあなたがおっしゃるものだから、その言葉を信じて来る夜も来る夜も待ちつづけるうち、あなたはついに現れず、代わりにその名も長月の有明の月が出てしまいました。

※有明の月・・・夜更けに現れ、夜明けの空に残る月のことです。

 

 

 長月の有明の月 (宝塚神社にて)

 

 

 

九月は、長月のほかに「色どり月(色取月)」などとも呼ばれます。木の葉が色づく月として名付けられたようですが、だんだんと秋の彩りが深まってゆく姿が想い描ける素敵な名前です。

 

 

 

九月の藍

 

 しじまの海を色どる  (明石海峡にて)

 

 

 

明けてゆく静寂の海は、深い藍色の世界からやがて空は蒼くなり、東の空はほんのりと赤く染まる薄明の時を迎えます。

 

  秋暁しゅうぎょう)や 胸に明けゆく ものの影

     加藤楸邨

 

 

 

『色どり月』は、虹の七色があちらこちらで楽しめる季節です。

虹の色は、「せき(赤)・とう(橙)・おう(黄)・りょく(緑)・せい(青)・らん(藍)・し(紫)」。これを何度もくり返して、虹の色と順番を覚えた思い出があります。

松田聖子さんが歌う『硝子のプリズム』にもこの「赤・橙・黄・緑・青・藍・紫」という歌詞が出てきます。

 

 硝子のプリズム

        歌 松田聖子

    :

 あなたとあの娘と私

 硝子のプリズム
 綺麗な三角形ね
 赤・燈・黄・緑・青・藍・紫
 もう...屈折しそう

        (抜粋しています)

 

夏に始まった恋は秋に終わるとか。まさに「ひと夏の恋」です。

 

一方で、夏風が急に涼しい秋風に変わると、にぎやかだった夏の終わりを感じてちょっぴりさびしい思いになります。

古来から人々は「秋のもの哀しさ」を和歌にして人恋しさを詠んできました。

 

  秋の日の 山の端とほく なるままに 

    麓の松の かげぞすくなき 

       順徳院

      (新後撰和歌集)

 

日が陰っていく寂しさと もの哀しい雰囲気が伝わってくる歌です。

 

 

 

九月の青

 

 晴れ渡る青空

 

 

平安の雅が生み出した秋への感傷は今も継がれています。

 

  秋の空 廓寥(かくりょう)として 影もなし 

   あまりにさびし 烏など飛べ 

     石川啄木

     (一握の砂より)

※廓寥広い大空のさま。一方で、むなしく、ものさびしいさま

 

秋の空は澄んで高く見えますが、その空を影もない寂しい空だと啄木は言っています。秋の寂しさを感じたのかもしれません。

 

 

 

九月の紫

 

 コムラサキ  (奈良県立万葉文化館にて)

 

 

秋になると美しい紫色の実がなるコムラサキは、ムラサキシキブ(紫式部)を小さくしたものなのでこの名前になったとか。 実のつきかたがいいので、花屋さんでは紫式部より人気が高いようです。

 

今ではすっかり有名になった紫式部の花は、江戸時代初期までは、「みむらさき(実紫)」「たまむらさき(玉紫)」と呼ばれていたようです。

江戸中期の植木屋が平安時代の女流作家『紫式部』になぞらえて名付けたと云われています。名付け親の植木屋さん、ひょっとすると牧野富太郎博士のような人物だったかも知れません。

 

一方、コムラサキの別名はコシキブです。平安時代の女流歌人、小式部内侍(こしきぶのないし)にあやかったとされています。

植木屋さんのブランド戦略、さすがです。

 

 

 

九月の黄

 

 オミナエシ(女郎花)  (六甲高山植物園にて)

 

 

秋の花と言えば『秋の七草』が浮かびますが、そのひとつがオミナエシ(女郎花)です。

傘状に集まった小さな黄色い花が風に吹かれてなびく姿はとても優美です。

 

 

  小倉山 峰たちならし 鳴く鹿の 

   経(へ)にけむ秋を 知る人ぞなき
       紀貫之

       (古今和歌集)


小倉山の峰を歩きまわって鹿が鳴いている。今まで幾秋あのように過ごして来たのであろうか。随分長いことであろうが知っている人はいない。
鳴く鹿の声は寂しそうに聞こえます。秋を寂しく過ごしてきた鹿の気持ちを知る人はいないと。

 

一見しただけでは、この歌にはオミナエシの花は出てきませんが、

次のように書き留めると『をみなえし』が浮かび上がってきます。

 

     をぐらやま 

     みねたちならし 

     なくしかの 

     へにけんあきを 

     しるひとぞなき


「をみなへし・女郎花」の字を各句の最初に置いて詠んだ歌です。

 

 

秋風にしなやかに揺れる女郎花を、古人は愛すべき美女に見立てて歌に詠んでいます。


  名に愛(め)でて 折れるばかりぞ 女郎花
     われ落ちにきと 人に語るな

       僧正遍昭

        (古今和歌集)

 

 

名前に引かれて花を折り取っただけのことですよ。女犯戒を破った僧だなんて噂を立てないで下さい、おみなへしさん。

女郎花を採ろうとして落馬したと思いきや、女郎をも我がものにしようとした堕落を掛けた洒落っ気たっぷりの歌です。万葉時代の楚々としたイメージの「をみなへし」も、平安時代には僧をも堕落させる妖しくも美しい女性に変化していました。

慎ましやかで優しく、しっとりした美しさの中に一抹の寂しさをたたえる女郎花は、晩秋、地上に出ている部分が枯れても、地中の根元の太い茎で冬を越す強靭な生命力の持主です。
美しさ、たおやかさの中に強い芯を秘めた日本の女性を象徴する花なのです。

 

 

 

九月の赤

 

 彼岸花  観心寺にて(大阪・河内長野市)

 

 

  つきぬけて 天上の紺 曼珠沙華

      山口誓子

 

秋の彼岸ごろになると、空に向かってまっすぐ伸びる茎と、火花のように咲く赤い花姿が美しい花があります。曼殊沙華という呼び名も持つ『彼岸花』です。
※曼珠沙華とは天界に咲く赤い花を表す梵語。

 

 

 

お彼岸は、先にこの世のいのちを終えていかれた大切な人のことを思うときです。野に揺れる彼岸花を見かけたら、『色どり月』。

慌ただしい歩みを少し緩めて、いのちの気配に耳を澄ましてみるのもいいかもしれません。

 

 

 

九月 移ろう彩

 

 緑から橙へ  (お彼岸に、奈良・東大寺 鏡池にて)