(126)季節めぐり(夏)

 

 

 

 青天に立ち昇る

 

 

  噴水が 輝きながら 立ち上がる 

   見よ天を指す 光の束を

       佐々木幸綱

 

さんさんとふり注ぐ夏の日射しを受けて、きらめく噴水が、まるで生き物のように勢いよく立ち上ります。それは、真っすぐに天をさして輝く、希望に満ち溢れた光の束のように。

 

 

夏空の風物詩といえば、入道雲。天にも届くように立ち昇る姿は雄大です。真っ青な空に映える白い入道雲は、「これぞ夏!」と思わせてくれる、まさに『天の打ち水』です。

 

夕立がこない日は、道に打ち水をして熱を冷ましていました。子どものころはそんな風景が何日かあったような気がします。

 

 

 入道雲になるのかな?  (播州平野のため池)

※兵庫県は溜め池の数が日本一です。

 

 

  順々に うごき出しけり 雲の峰

      小林一茶

 

 

  雲の峰 立や野中の 握飯

       小林一茶

 

旅の途中でしょうか、野原をゆく道ばたの木陰で、腰を下ろしての昼飯かもしれません。握り飯を頬張りながら、真っ白な入道雲を眺めている一茶も気分が良さそうです。

 

 

空の青と野山の緑、雲の白がまるで写真のように見えてくる一句です。

 

 

日本は、春夏秋冬、四季折々の美しさが楽しめる国ですが、なぜか和歌の世界では、夏の扱いが小さいように感じます。エアコンなどがなかった頃の人々には、蒸し暑さに耐える夏は情緒に浸る気になれなかったのでしょう。

歌を詠みたくなるしっとりとした可憐な花が少ないことも一因かもしれません。

 

 

 

夏の花 ノウゼンカズラ(凌霄花)   加西フラワーセンターにて

 

 

近代になると、夏の日射しに強い鮮やかな色の花が詩歌に詠まれるようになりました。

 

  風にゆらぐ 凌霄花(のうぜんかずら) ゆらゆらと 

   花ちる門に 庭鳥あそぶ

     佐佐木信綱 

 

凌霄花(リョウセンカ)は「霄《そら》を凌ぐ花」という意味から採られた中国名で、暑い盛りにオレンジ色の花を咲かせます。

 

花言葉は「名誉」「名声」。これは花の形が勝利者を祝福するファンファーレを吹くトランペットに花の形が似ているからだとか。

英名は“Trumpet creeper”。

 

 

  凌霄(のうぜん)は 妻恋ふ真昼の シャンデリヤ

       中村草田男

 

ノウゼンカズラは、ものに絡まり高く伸びている様子から、愛の象徴ともされています。
また、月宮に住む仙女・素娥(そが)が酒に酔い、「その髪から落ちたかんざしが凌霄花となった」という言い伝えもあります。

 

愛妻家として知られる中村草田男は、まばゆく艶やかなノウゼンカズラを「シャンデリヤ」に例え、その美しさを妻に重ねています。

 

 

 

 太陽の花 ヒマワリ  ひまわりの丘公園(小野市)にて

 

 

 

向日葵(ヒマワリ)は、夏を象徴する太陽の花ですが、日本へは江戸時代に渡来したため、詩歌に登場するのは近代に入ってからです。

 

 

  列車にて 遠く見ている 向日葵は  

     少年のふる 帽子のごとし 

           寺山修司

 

車窓からぽつりと立っているように見える向日葵を帽子に見立てているのが面白い表現で、自分を見送っているかのようです。

 

 

 

  向日葵が 好きで狂ひて 死にし画家  

       高浜虚子 
 
向日葵の花が好きだった画家フィンセント・ファン・ゴッホは、心を病んで狂って死んでしまいました。
 
ゴッホは、「ひまわり」の画家とも言えるほど「ひまわり」を描いています。

 

 

 

 

 カワラナデシコ  神戸市西区にて

※別名、大和撫子とも呼ばれ、日本女性の代名詞にもなりました。

 

 

 

撫子(なでしこ)は、古来から そのたおやかな姿が人々に親しまれ、和歌や俳句に詠われてきた夏の花です。

 

 

  塵(ちり)をだに すゑじとぞ思ふ 咲きしより

    妹(いも)とわが寝る とこなつの花

      凡河内窮恒
   (古今和歌集 巻三 夏歌

 

「常夏(とこなつ)の花」は、なでしこの別名です。

 

隣の家から庭に咲いている常夏の花(=なでしこ)が欲しいので分けてくれと言ってきました。

窮恒も常夏の花が大好きです。どれくらい好きかというと、花の上には塵ひとつ積もらせないように。するくらい好きなのです。

しかも、妻といっしょに寝る寝床の「床(とこ)」と、常夏の花の「常(とこ)」は音が通じています。その床の上に塵ひとつ積もらせないようにしている。それくらい常夏の花が好きなのです。

こんな感じの意味でしょうか。

窮恒はこの歌を添えて、常夏の花を隣の人に贈ったようです。

 

 

 

  撫子に かかる涙や 楠の露

      松尾芭蕉

 

撫子の可憐な花に大きな楠の葉にたまった露が落ちてくる。それを眺めていると、あの楠木正成の桜井の別れを思い起こすことだ。あのとき、幼子の正行の袖の上に落ちた正成の涙こそ、この大きな楠の露で、正行はこの撫子のようであったに違いない。

 

 

撫子は、か細い容姿に似合わず丈夫な花で、真夏の暑さにも負けず可憐な姿を夏のあいだ見せてくれます。

 

 

 

つゆ草(これも夏の花です) 

 

 

 

長い夏の日も、空が薄紅色に染まりはじめると、弾ける心も落ち着き、頬をなでる風が切なさを届けます。

 

 

 夏の夕暮れ  紀淡海峡・加太(和歌山県)にて


 

 

ピンク、オレンジ、赤、黄、紫……と、時が移ろうにつれて美しく変化していく夏の夕暮れ。沈みゆく太陽の柔らかな光に包まれたかぎりなくやさしいひと時は、心の中の水平線で、夕陽がほほえみます……。