(83)哀愁さんぽ

 

 

 

 たなびく霧や、雨に濡れる紫陽花、そして茜色に染まりゆく雲を眺めていると、ふと、想いにふけることがあります。

 

 

 「今日はよいお天気で、、、」とか、「よく降りますね、、、」など、普段のあいさつで、お天気の話がよく使われます。

 しかし、これは空模様に特別に関心があるわけではなく、軽い気持ちで用いています。現代人にとって、少しくらい雨が降ろうが風が吹こうが、大した影響はなさそうです。

 

 とはいえ、いくら生活様式が進んでも、屋外で働く人々にとっては、やはり空模様は気になるものです。

 ましてや自然の恵みや脅威を直接に受けた昔の人々は、今の私たちが想像している以上に、お天気に関心を寄せていたと思います。

 たとえば、万葉集には4500余首の歌が載せられていますが、その内の970余首に、雲、雨、雪、霧、露、霞、霜などの天気現象が詠まれています。しかも雲や霧などに自らの感動や哀愁を重ねて想いを詠みこんだものも多くあります。

 

 

 

           海霧に包まれる明石海峡

 

 

 

 天平八年(736年)六月に難波を出航した遣新羅使の一行は、瀬戸内の各港を経由しながら新羅に向かいました。その途中で、風速浦(かぜはやうら)に寄港したことが伝えれれています。

 

 

    わが故に 妹くらし 風速

     浦の沖辺に 霧たなびけり

          作者不詳

           (万葉集 巻十五)

 

(鑑賞)

 この歌の題詞には「風速の浦に船泊せし夜に作れる歌」と書かれています。

 ここ風速浦の沖の方に霧がたなびいているのを見ると、妻が私のために嘆いているように思えると詠んでいます。

 家に残してきた妻の嘆く息で作られている霧に触れたいのに、と海上の霧に近づくことができない自分を嘆いているようです。

 ※風速とは、現在の広島県安芸津町風速の地です。

 

 

 「嘆きの霧」は、山上憶良が詠んだ挽歌にも見られます。

     

    大野山 霧立ち渡る わが嘆く

    息嘯(おきそ)の風に 霧立ちわたる

           山上憶良

             (万葉集 巻五)

   

(鑑賞)

 この歌は大伴旅人の妻の死に対して山上憶良が贈った追悼歌です。

 『妻の亡骸の眠る大野山の霧が立ち渡っている。わたしの嘆く息の風によって霧が立ち渡っている。』と、妻を亡くした嘆きのため息によって大野山に霧が立ち渡っているとその哀しさを詠っています。

 山上憶良の視点で詠われることで、大伴旅人の亡き妻を思う気持ちがよりいっそう引き立っているようにも感じられます。

 

 

 

 

          霞たなびく二上山

 

 

 

 風や霞を詠みこみ、深い哀しみを描き出した歌もあります。

 大伴家持が亡くなった妻を悼んで詠んだ哀悼歌です。

 

     今よりは 秋風さむく 吹きなむを

      いかにか独り 長き夜を寝む

            大伴家持

              (万葉集 巻三)

 

(意訳)

 これからは秋風が冷たく吹いてくるだろうに、ただ独りどのようにして長い夜を寝ればよいのだろうか。

 

 

 その後も、家持は悲しみの心が止まらずにさらに二首を詠んでいます。

 

    世間(よのなか)は 常かくのみと かつ知れど

       痛き情(こころ)は 忍びかねつも

            大伴家持

              (万葉集 巻三)

 

(意訳)

 世の中はいつもこのようになると、薄々は知っていたけれど、それでもつらい心は耐えがたいものだ。

 

 

    佐保山に たなびく霞 見るごとに 

      妹を思いで 泣かぬ日はなし

            大伴家持

              (万葉集 巻三)

 

(意訳)

 あの佐保山にたなびく霞、それを見るたびに、そこに眠る妻を思い出して泣かない日はないよ。

 

 

 

 

         雨に濡れる紫陽花 (平安神宮神苑)

 

 

 そして雨を涙に重ねて哀しみを詠んだ歌もあります。

 小野篁(たかむら)が妹の死を嘆く歌です。

 

      泣く涙 雨と降らなむ 渡り川

       水まさりなば 帰りくるがに

            小野篁

           (古今和歌集 巻十六)

 

(意訳)

 泣いて出てくる涙が雨になって降ってほしい。三途の川の水を増して、川を渡れなくて 妹が帰ってくるように。

 

 

 

 

 人を哀愁に駆り立てるのは自然の移ろいだけではありません。

 汽車もまた、哀愁の思いや感情に連れ戻してくれる特別な力を持っています。

 

 

 

          動き出すSL(北陸本線 木ノ本)

 

 

 

♪ 白い夜霧の 灯りに濡れて

  別れ切ない プラットホーム

  ベルが鳴る ベルが鳴る

  さらばと告げて 手を振る君は

  赤いランプの 終列車     ♪

 

『赤いランプの終列車(春日八郎のデビュー曲)』より

 

 

 

  

 鳥のさえずりに耳をすませるとき、

 道ばたに咲いている野花に目をとめるとき、

 夕暮れにそよぐ、すすきの穂を眺めるとき、

 胸の奥にそっとしまった記憶が柔らかに甦ってきます。